熱田神社(今戸)

2015年4月4日

台東区今戸熱田神社

概要

戦国末期の元亀2年6月創建と伝えられ、鳥越神社、第六天榊神社とともに鳥越三所明神と称されていた。
江戸時代に旧三谷村へ遷座し以降当地の鎮守となった。

御祭神 日本武尊・橘姫命
社格 旧村社
鎮座地 東京都台東区今戸2-13-6
最寄駅 東京メトロ銀座線 浅草駅
東武鉄道伊勢崎線 浅草駅
都営地下鉄浅草線 浅草駅
東京都営バス(東42甲系統) 今戸停留所
東京都営バス(東42乙系統) 今戸一丁目停留所
台東区循環バス・めぐりん 北5今戸一丁目停留所
URL http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/taito/3225

御由緒

創建は1571(元亀2)年6月と伝えられる。
元鳥越には、鳥越大明神(鳥越神社)第六天(第六天榊神社)、そして当社・熱田大明神の三社が鎮祭され鳥越三所明神と称されていた。
江戸時代に入り家光の治下であった1645(正保2)年、浜町矢の倉建設に伴って元鳥越の地は幕府御用地とされたため、移転が命じられる。
旧武蔵国豊島郡三谷村の北端(現・台東区清川1丁目7、8番付近)に替地が定められ、同年6月には社殿を造営、氏子数十戸と共に遷座奉祀した。
この時町名が新鳥越と改められ、以降当地の鎮守となり三谷明神と称された。
社殿は1708(宝永5)年・1824(文政7)年・1861(文久元)年、そして明治と修理・改築を重ねていたが、1923(大正12)年に起きた関東大震災のため焼失している。
翌1924(大正13)年6月には仮社殿にて再建されたが、復興に伴う区画整理のため、1927(昭和2)年11月に現社地に再遷座された。
この際、震災時の教訓から本殿を鉄筋コンクリート造で造営したため、1945(昭和20)年3月10日の大空襲において本殿だけは焼失を免れている。
現幣殿・拝殿は1965(昭和40)年10月に造営された。

境内紹介

台東区今戸熱田神社 鳥居台東区今戸熱田神社 手水舎
浅草駅からは約1.3kmと、やや距離のある場所。
上記で案内した各バス停からは徒歩2~3分の距離で、今戸神社玉姫稲荷神社が比較的至近に鎮座している。
台東区今戸熱田神社 社殿台東区今戸熱田神社 本殿

神輿

今戸熱田神社 吉野町会神輿今戸熱田神社 本社神輿
当社の氏子区域は旧浅草吉野町の一町で、1975(昭和50)年以降宮神輿は渡御せず、吉野町会神輿のみが出御していた。
2014(平成26)年、遷座370年ならびに吉野町会の創立百周年を記念し、20年ぶりに宮神輿渡御が行われている。

社宝・大太刀「陰陽丸」

今戸熱田神社 大太刀「陰陽丸」

社宝の大太刀「陰陽丸」は刀身長280センチ・全長368.5センチと関東以北随一の長さを誇り、台東区有形民俗文化財として登載されている。
「陰陽丸」は1847(弘化4)年に幕臣・川井久尊の長男で小石川に在住していた刀工・川井久幸(1786~1868年)が制作し奉納した。
単に宝刀として安置されるだけではなく、1858(安政5)年にコレラが流行した際には町内を巡行させ、臨時の疫病除け行事を行ったという。
また、1889(明治22)年の大日本帝国憲法発布式祝祭においても「陰陽丸」は山車に仕立てられており、鎮守の宝刀は当地を象徴する存在だったとみられる。
通常は社殿内に保管されているが、毎年6月第一週の例大祭時に拝殿前で展覧される。

境内社

台東区今戸熱田神社 境内社 (2)台東区今戸熱田神社 境内社 (1)
今戸熱田神社 境内社狐穴 (1)今戸熱田神社 境内社狐穴 (2)
境内社は弁財天社・八幡社・青木稲荷社、庚申金毘羅合殿、天満宮・疱瘡神・豐川出世稲荷福寿稲荷合殿、霊神社。

社務所へ確認したところ、残念ながら御朱印対応はされていないとのこと。

今戸・熱田神社の地図