本社三島神社
概要
元寇で活躍した武将・河野通有が神託により伊予国・大山祇神社を旧金杉村上野山内に勧請奉斎したのが創祀。
寛永寺建立に伴い旧浅草小揚町の現在地に遷座した。
御祭神 | 大山祇命・伊佐那岐命 相殿神 和足彦命・身島姫命・上津姫命・下津姫命 |
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社格 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都台東区寿4-9-1 |
最寄駅 | 東京メトロ銀座線 田原町駅・浅草駅 東武鉄道伊勢崎線(スカイツリーライン) 浅草駅 つくばエクスプレス 浅草駅 都営地下鉄浅草線 浅草駅 都営地下鉄大江戸線 蔵前駅 |
URL | http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/taito/3132 |
御由緒
元三島神社と下谷の三島神社は元々ひとつの神社であるため御由緒は同一である。
1281(弘安4)年5月の元寇において、河野対馬守越智通有は大山祇神社で戦勝を祈願したのち、伊予水軍を率いて元軍を撃退した。
帰陣の夢中、通有は大山祇大神を武蔵国豊島郡に勧請せよとの神託を受け、上野山内にあった河野氏の館に奉斎したのを創祀とする。
1709(宝永6)年、寛永寺建立のため、旧金杉村上野山内の社地が幕府用地となった。
浅草小揚町(現・台東区寿)の現在地に替地が与えられ、遷座したのが当社の始まりである。
約千坪の地に門前町屋を許されていたが、明治維新後の1870(明治3)年に門前地を上地したのち、1872(明治5)年には村社の指定を受けた。
1923(大正12)年、関東大震災によって社殿はじめ三代将軍家光が寄進した神輿等が焼失してしまう。
昭和初年に社殿は再建されたが、1945(昭和20)年3月の空襲により再び焼失した。
戦後長らく仮殿での奉仕が続いたが、1972(昭和47)年に現社殿を造営した。
境内紹介
最寄駅は銀座線の田原町駅。
2番出口を出て国際通りを横断後、右折して南に向かう。
二本目の路地を左に入って二丁ほど進んだ左手に社地がある。
一階部分が駐車場になっており、路面から少し後退した配置であるため、よそ見をしていると通り過ぎるので注意。
元三島神社同様、階高の境内は決して広くないため写真の撮影位置に苦労した。
狛犬は中国獅子。
特徴的な意匠で、阿形は口の中の玉が転がる仕掛けになっている。
境内社
境内社は石稲荷神社・髪稲荷神社の合祀殿(倉稲魂命)が一社。
その後方に社務所(兼宮司様宅の模様)がある。
御朱印
本社三島神社の御朱印は拝殿向かって左手の社務所にて受けられる。
初穂料300円。
筆者は二回目の参拝で拝受できたが、他サイトの情報をみると数度にわたり御不在だったこともあるようだ。
以前の御朱印
以前は兜の印判がなかった。
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