元三島神社
概要
伊予水軍を率いた河野通有が、大山祇命の神託を受けて上野山内に分霊を勧請したのが創祀。
下谷三島神社・本社三島神社とは元々ひとつの神社。
御祭神 | 大山祇命・伊佐那岐命 相殿神 和足彦命・身島姫命・上津姫命・下津姫命 |
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社格 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都台東区根岸1-7-11 |
最寄駅 | JR山手線・京浜東北線 鴬谷駅 東京メトロ日比谷線 入谷駅 |
URL | http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/taito/3205 |
御由緒
1281(弘安4)年発生した元寇において、伊予水軍を率いた勇将・河野対馬守越智通有は伊予国一宮大山祇神社に必勝祈願を行ったのち出陣し、大きな戦功を挙げ帰陣した。
その折、夢で大山祇命の神託を受け、武蔵国豊島郡上野山内に分霊を勧請・奉斎したのが始まりであるとされる。
1650(慶安3)年、上野山が寛永寺の寺地になった際に山内よりの社地移転を命ぜられ、金杉村(現・台東区根岸付近)に移転をとげた。
1709(宝永6)年、その金杉村の社地が幕府用地とされたため、代替地として浅草小揚町(現・台東区寿)に再遷座した。
金杉村の氏子から氏神様の遠方への遷座は不都合であることから、金杉・根岸の村民は協議を重ね、ついに金杉にあった熊野神社と合祀、これを元三島神社と称した。
ちなみに小揚町の社地は現在の本社三島神社となっている。
社号は元来ひとつの三島神社が分かれたため呼び分ける形になり、当社は元の社地近くに鎮座したので「元三島」となった。
故に当社、そして下谷の三島神社と本社三島神社の御由緒は同一である。
境内紹介
JR鶯谷駅北口は本殿の真裏。
実際当社へ行くには少々回り道をしなければならないが、さほどの距離ではない。
南口から出てしまった場合は陸橋の架かる坂を下り言問通りを左に。
しばらく進み、写真のとおり社号標がある角を左折した先に玉垣が見える。
鳥居の脇には河津桜が植えられており、季節には見事な開花の風景を見せる。
狭く変則的な形状の社地で、社殿・社務所は二階建て建造物になっている。
従って社地自体は平坦であるが、拝殿へ至るには一階分の階段を登る。
階段下の境内には狛犬・手水舎・神楽殿のほか、「木槿咲て 繪師の家問ふ 三嶋前」という正岡子規の句碑もある。
社殿はコンパクトながら、拝殿・幣殿・本殿を有する立派な神明造。
拝殿前は狭小なため、撮影のアングルはこれが精一杯。
御朱印・御朱印帳
御朱印帳
元三島神社の御朱印帳は初穂料1,400円。
青波に祭神である大山祇神社の神使・白鷺。
元寇の際に河野通有を白鷺が導いたとされる。
御朱印
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元三島神社の御朱印は初穂料300円。
拝殿左手の社務所にて受けられる。
なお、元三島神社は下谷七福神めぐりの寿老神を祀っており、御朱印は通年でご対応いただける。
ちなみに下谷七福神めぐりは元三島神社以外、全て寺院で構成されている。
限定御朱印
創建735年記念大祭
2016(平成28)年は上野山に三島神社が創建されてから735年。
大祭が斎行された5月15日のみの限定で記念御朱印が授与された。
金泥の神紋印などのほか、墨が金粉入り。
画像では残念ながら判別が難しい。
例大祭限定
例大祭限定は紫金墨。
神紋と「例大祭」の印判も金泥で。
五節句・季節行事
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1月7日の人日(七草の節句)は銀粉入りの墨書きに松竹梅の印判。
3月3日の上巳(桃の節句)は赤金墨書きに桃花の印判。
5月5日の端午(菖蒲の節句)は青金墨書きに菖蒲の印判。
7月1~7日は夏詣の限定御朱印が受けられる。
7日の七夕では墨が金粉入り、笹の印判や星などが加わる。
9月の重陽の節句(菊の節句)は金粉入りの墨書きと菊花の印判。
元三島神社の地図
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