矢先稲荷神社
江戸時代の寛永19年、当地に建立された浅草三十三間堂の鎮守として創建された。
浅草名所七福神の福禄寿を祀る。拝殿の天井絵馬は必見。
御祭神 | 倉稲魂命・福禄寿 |
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社格 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都台東区松が谷2-14-1 |
最寄駅 | 東京メトロ銀座線 稲荷町駅・田原町駅 つくばエクスプレス 浅草駅 |
URL | http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/taito/6618 |
御由緒
1642(寛永19)年12月23日に弓師備後は幕府から6200坪余りの土地を拝領し、当地に京都のそれを模して浅草三十三間堂を建立した。
当社はこの三十三間堂の鎮守として稲荷大明神を奉斎したのを創建とし、その神像は、寛永寺の天海僧正により寄進された。
京都三十三間堂にならい、堂の西縁を矢場とし、その北方に的場を設けた。
稽古は京都同様に堂の長さを射通す「通矢」の数を競い、町民にも観覧が許され大いに評判になったと伝えられている。
ところが1698(元禄11)年9月6日、世にいう「勅額火事」が起こり、当社は三十三間堂とともに焼失してしまう。
この後三十三間堂は深川への移転を命ぜられたが、当社は付近の町民の懇願により当地の産土神として残り、三十三間堂(弓矢の練成道場)の的場に隣接していたのにちなみ、矢先稲荷神社と称されるようになった。
1945(昭和20)年3月9日の空襲では神輿庫を残し焼失する。
戦後早々に仮殿にて復興後、1960(昭和35)年11月9日にはRC造の現社殿が再建された。
境内紹介
つくばエクスプレスの浅草駅、銀座線の田原町駅から程近い、合羽橋道具街の中間地点あたりから西に少し入ったところに鎮座する。
田原町駅からは道具街を北進し、合羽橋南交差点を過ぎて次の信号で左折する。
浅草駅からは浅草ROXそば、国際通り浅草一丁目交差点を西へ向かう。
鳥居に架かる扁額は珍しい陶製だ。
神楽殿には浅草三十三間堂の図が描かれている。
こじんまりした境内や社殿の穏やかな空気に「下町の鎮守様」の情緒が漂う。
氏子であろう参拝者が、時折ふらりと参拝に訪れる姿から、人々の暮らしに信仰が溶け込んでいる様子が垣間見える。
拝殿天井絵馬図
拝殿の天井に、神武天皇の御代から昭和にいたる日本馬乗史を描いた100枚の絵馬が奉納されている。
故・海老根駿堂氏が1960(昭和35)年から約5年がかりで製作、奉納したもの。
御朱印
社殿右手の社務所にてお願いできる。
浅草名所七福神の福禄寿も通年で授与されている。
初穂料は各300円。
馬の象形文字が捺された、素朴かつユニークな御朱印。
夏詣の御朱印
矢先稲荷神社は夏詣に賛同しており、7月1日~7日は限定御朱印が授与される。
以前の御朱印
以前は象形文字の下にアルファベットでYASAKIと押印されていた。
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