赤塚氷川神社
御祭神:素盞嗚命・藤原広継命
社格:旧村社
所在地:東京都板橋区赤塚4-22-1
最寄駅:東武鉄道東上線 成増駅
東京メトロ有楽町線・副都心線 地下鉄成増駅
都営地下鉄三田線 西高島平駅
URL:http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/21_itabashi/21025.html
御由緒:古老の伝承などによれば、1458(長禄元)年に赤塚城主・千葉介自胤が武州一ノ宮氷川神社の御分霊を奉請し当地に奉ったのが創祀であるという。
祭神の一柱、藤原広継は奈良時代の貴族で、大宰府で反乱(藤原広嗣の乱)を起こしたが、朝廷軍に敗戦し処刑された人物。
のちに朝廷はその怨霊の祟りを恐れ神として祀るようになったが、当社に合祀された経緯は不明である。
新編武蔵風土記稿には「氷川御霊合社」として、旧上赤塚村の鎮守であったことが記されている。
ながく社殿廃頽に帰していたが、幕末の1857(安政4)年正月に本殿(現在の内神殿)が再建された。
別当は明治の神仏分離まで真言宗智山派の寺院・石成山清涼寺(現・赤塚4-8-3)が務めた。
1881(明治14)年8月には旧拝殿も造営されたが、1894(明治27)年に地震で被災の後、修復が施されている。
東上線成増駅北口からは1kmほど、三田線西高島平駅南口からは1.4kmほどの住宅街に鎮座している。
参道入口の脇には「赤塚乳房大神」と刻まれた石碑と、樹齢1750年という欅の大木がそびえる。
明治時代の落語家・三遊亭圓朝作「怪談乳房榎」のモデルの一つともいわれ、乳房の病に霊験があるとして信仰の対象となっている。
1795(寛政7)年銘の石鳥居に掲げられた扁額には氷川神社と御霊神社の社号が併記されている。
鳥居をくぐるとすぐ左手に宮前不動尊。
旧別当・清涼寺の本尊は不動明王だが、これに由来するものであろうか。
この堂宇の脇には青面金剛像や庚申塔が安置されている。
ここから二の鳥居まで約200m、板橋区登録の文化財(天然記念物)でもある欅並木の参道が続く。
二の鳥居そばには富士塚(上赤塚富士)があり浅間神社が祀られている。
丸吉講によって1868(慶応4)年から明治初期頃に築山されたとみられる富士塚は、2011(平成23)年に板橋区文化財として登録(記念物・史跡)された。
山頂奥宮祠の裏には、なぜか小さな大黒恵比寿像も祀られている。
拝殿前の狛犬の台座には1902(明治35)年6月建之の銘。
社殿・手水舎・神楽殿はRC造で1977(昭和52)年に改築された。
現本殿は壁面がガラス障子の覆殿になっており、前述した木造の旧本殿が内神殿として納められている。
社殿向かって右手から後方に末社が鎮まる。
一番大きな社殿は八幡神社(誉田別尊)と赤塚神社(神明社・天照皇大神)の合殿。
続いて榛名神社、白山神社、大山阿夫利神社、小石祠にて疱瘡神社、三峯神社が祀られる。
ここから更に社地の後方へ進むと稲荷神社の祠。
当社はかつて槻や杉、楠など多種の樹木からなる社叢に囲まれていたという。
その面影を残す境内最奥に、御嶽神社が祀られた木曽御嶽塚がある。
富士塚と同様、江戸時代後期以降に木曽御嶽講中のひとつ・赤塚一山講によって築造された。
1864(元治元)年に奉納された御嶽山座王権現碑は、区内最古の御嶽山関連の碑とされている。
赤塚氷川神社 御朱印。初穂料300円。
社殿向かって左手の社務所にて受けられる。
兼務社を多数持っているため、宮司様は外出も多い模様。
帳面を預けるのは不可とのことなので、御朱印を受けたい場合はご都合をあらかじめ確認したほうがよいだろう。
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