芭蕉稲荷神社
御祭神 | 宇迦之御魂神(推定) |
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社格 | 旧社格不明・単立神社 |
鎮座地 | 東京都江東区常盤1-3-12 |
最寄駅 | 東京メトロ半蔵門線 清澄白河駅 都営地下鉄大江戸線 清澄白河駅・森下駅 都営地下鉄新宿線 森下駅 |
URL | — |
御由緒
俳聖として知られる松尾芭蕉は、1680(延宝8)年に高弟・杉山杉風(蕉門十哲の一人、幕府御用魚問屋「鯉屋」を営んだ)より草庵の提供を受け、現・文京区関口から当地に居を移した。
庵は当初「泊船堂」と称したが、1681(延宝9)年春に門人・李下が植えた一株の芭蕉がよく繁ったことにちなみ「芭蕉庵」と改称、自らの俳号もそれまでの「桃青」から芭蕉に改めている。
第一次芭蕉庵は天和の大火(お七火事)で焼失し、その後第二次庵がほぼ同じ場所に、第三次庵は旧庵の近辺に建てられた。
芭蕉は1694(元禄7)年に大阪で病没するまで当地を本拠としており、1686(貞享3)年に第二次庵で名句「古池や蛙飛びこむ水の音」を詠んだ。
1694(元禄7)年10月12日芭蕉が大阪で没した後、1697(元禄10)年に庵のあった一帯は信濃国飯山藩・松平遠江守忠喬の下屋敷に取り込まれる。
芭蕉庵は旧蹟として残されていたが、幕末から明治にかけて消失したという。
1917(大正6)年、台風による高潮が当地を襲った後、現在地で芭蕉遺愛のものとみられる石蛙が発見される。
地元の人々の尽力により、ここに石蛙を御神体として稲荷を祀り当社が創建された。
1921(大正10)年11月、東京府は常盤1-3付近を芭蕉庵跡と推認、旧跡「芭蕉翁古池の跡」に指定している。
1945(昭和20)年、戦災により荒廃したが、地元の芭蕉遺跡保存会によって1955(昭和30)年再建された。
なお、1981(昭和56)年に当地から300m弱北の場所に芭蕉記念館が建てられており、石蛙は現在同記念館に展示されている。
境内紹介
最寄り駅はふたつ。
清澄白河駅からはA1出口から小名木川沿いに西へ向かい、萬年橋南交差点で右折、橋を渡った50mほど先の左手に鎮座する。
森下駅からはA1出口を出て右手の路地を約400m南に進む。
突き当たりで右に曲がるので道なりに進み、万年橋通りを渡った先となる。
狭小な境内には「史蹟芭蕉庵跡」と記された碑や、ふる池や・・・の句碑が置かれている。
なぜ、芭蕉庵跡の比定地に稲荷を祀ったのか興味深いが、それを知るすべはないようだ。
記念スタンプ
芭蕉稲荷神社は無人で御朱印対応はないものの、鳥居をくぐった右手に「スタンプボックス」と書かれた赤い郵便受箱が設置されている。
開けるとスタンプとインク台が用意されており、参拝者自身が押印できる。
初穂料の定めはないので、気持ちを賽銭箱へ。
芭蕉稲荷神社の地図
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