碑文谷八幡宮
御祭神 | 誉田別尊(応神天皇) |
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社格 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都目黒区碑文谷3-7-3 |
最寄駅 | 東急電鉄東横線 都立大学駅 |
URL | http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/meguro/5205 |
御由緒
創建年代は不詳。
鎌倉時代、源頼朝の重臣であった畠山重忠は、頼朝の没後に実権を握った初代執権・北条時政により謀殺されてしまう。
重忠の家臣・榛沢六郎の家人で当地に住んでいた宮野左近という人物が、重忠の守護神を祀ったのが創祀であると伝えられている。
碑文谷村の鎮守として、終戦まで村社に列していた。
社殿は1511(永正8)年、1631(寛永8)年、1704(宝永元)年、1872(明治5)年に再造営した記録が残り、1981(昭和56)年にも増改築している。
また社宝として、一説に碑文谷の地名の由来ともいわれている「碑文石」が保存されている。
最寄り駅の東横線都立大学駅を出て右手、ロータリーの脇から斜めに入る路地へ進む。
平町1丁目の住宅街を東に通り抜け、環七に合流したら右手、大田区方向へ。
沿い大岡山小前の交差点で環七を横断し、さらに北東へ500mほど進むと一の鳥居がある。
そこから100mほどの参道を西に進むと二の鳥居。
ちなみにJR目黒駅から出ているバスはこの付近に停まる。
社地はかなり広く、参道が長く続く。
三の鳥居を過ぎたあたりに手水舎がある。
その脇にはポンプもあり、今も水が出る。
豊かな社叢に囲まれ、風格と気品、清廉さがにじみ出る社殿。
その右手には立派な神楽殿も。
社殿右手奥に末社の稲荷神社が鎮座している。
御祭神は倉稲魂命・畠山重忠霊・榛沢六郎霊。
凛としていて雰囲気が良い。
そして隣に社宝・碑文石の安置舎。
旧鎌倉街道沿いの土中に埋まっていたと伝えられ、室町時代のものと推察されている。
碑文谷八幡宮の御朱印
参道途中右手にある社務所(兼宮司様邸と思われる)にて受けられる。
初穂料300円。
環七からも程近い住宅街の一角に、今でも比較的広い社地と鎮守の森が維持されているのは素晴らしい。
境内全体も穢れのない良い気が保たれている。
碑文谷八幡宮の地図
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