元神明宮(天祖神社)
概要
平安時代中期の寛弘2年、一條天皇の勅命により創建された。
鎮座千年を越える古社だが、社殿は平成6年に改築されたコンクリート打ち放しの現代的デザインとなっている。
御祭神 | 天照皇大御神 相殿 水天宮 |
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社格 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都港区三田1-4-74 |
最寄駅 | 東京メトロ南北線 麻布十番駅 都営地下鉄大江戸線 赤羽橋駅 都営地下鉄三田線 芝公園駅 |
URL | http://motoshinmei.or.jp/ |
御由緒
1005(寛弘2)年、一條天皇の勅命により創建されたと伝えられる。
平安中期の武将・渡辺綱の産土神であり、多くの武人にも崇敬を受けた。
渡辺綱の信仰によって、八幡宮や春日社等も配祀されていたという。
降って、江戸に入府した徳川の命令により増上寺が建立される際、飯倉神明宮(現・芝大神宮)へ当社の神宝・御神体を遷す計画がなされた。
しかし氏子・崇敬者らは「御神体だけは渡せない」と隠し、昼夜警護して守ったと伝えられ、以来「元神明宮」と称された。
なお、地名・小山町から小山神明宮とも呼ばれた。
小山町には久留米藩の上屋敷が置かれており、有馬家は当社を崇敬した。
1868(明治元)年、有馬邸が青山に移転する際、邸内社であった水天宮の御分霊を当社に奉斎している。
後に青山の有馬邸内社は日本橋蛎殻町に遷され、現在の水天宮となった。
1994(平成6)年6月、旧御社殿の老朽化に伴って全面的な改築を行い、現在の近代的な社殿に改められた。
境内紹介
最寄り駅は麻布十番駅、赤羽橋駅のいずれかとなる。
大江戸線経由の場合、麻布十番駅で下車すると遠回りになるため、赤羽橋駅を利用した方が良い。
赤羽橋駅からは中之橋口から外苑東通りを横断し、国際医療福祉大三田病院を左手に見つつ進むと、筒が二本並んだ景観のビル(タワーズ三田)が見えてくる。
この脇を通る緩やかな上り坂は「神明坂」の名があり、これを上り始めたあたりから左手が石垣になるが、そこが元神明宮の社地だ。
麻布十番駅からのアクセスは、南北線側2番出口から六本木方向に進み、すぐに右手の路地に入る。
奥へ進んで左折すると、東京さぬき倶楽部の前に通じ、そのまま200m弱進めば前述したタワーズ三田がある。
社号標は1927(昭和2)年、石鳥居には(大正2)年の銘がある。
石段の最上部には尾流れの狛犬殿。
欠けや剥離、修復跡も目立つが、威厳ある風貌を保つ。
手水舎はセンサー式吐水だが、水盤は1683(天和3)年造の都内でも比較的古い類。
瀟洒な外観のRC造建築は、実は覆殿。
螺旋階段から拝所にいたると、木造社殿が内部にあるのがわかる。
頑健な覆屋に護られた社殿は、築後年数を経ても輝くような美しさだ。
向拝部の彫刻は旧社殿から引き継いだものだろう。
境内社
参道は石段となっており、その脇には境内社の稲荷神社が並ぶ。
境内社の御祭神は全て宇迦之御魂神。
参道石段の上り始めあたり、石垣の際には天白稲荷神社。
三田七福神が合祀されているようだ。
天白稲荷のすぐ横には権太夫稲荷神社と槻根稲荷神社。
権太夫稲荷は、現在三田1-7のパークコート三田敷地内に祀られている銀杏稲荷大明神(白瀧稲荷神社)と縁がある。
白瀧大神が女神、権太夫大神が男神とされ、御神木は夫婦銀杏だった。
旧東京市が市電敷設の際、権太夫大神の祠を取り壊したところ、関係者などに災厄が起こったという。
このため再度勧請されたのがこの社である。
石段を登ったところに手水舎があり平河稲荷神社が鎮座する。
和光稲荷大明神、豊日稲荷大明神も合祀されているという。
さらに奥、拝殿へ上がる螺旋階段のそばには前述した白滝稲荷神社。
白滝稲荷は一度東京さぬき会館へ遷されたのち、現在の場所へと再遷座している。
御朱印
元神明宮の御朱印は、覆殿内右手に社務所にて受けられる。
初穂料500円。
金銀箔が散りばめられた高級紙の書き置きのみで授与されている。
元神明宮の地図
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