上神明天祖神社(蛇窪大明神)
概要
鎌倉時代の創建とされる旧蛇窪村(のち上蛇窪村)の鎮守。
白蛇を祀った弁天社があることから「東京の白蛇さま」を称する。
祭事や節句、巳の日などにまつわる多彩な種類の限定御朱印を出されている。
御祭神 | 天照大御神 配祀 天児屋根命・応神天皇 |
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社格 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都品川区二葉4-4-42 |
最寄駅 | 都営地下鉄浅草線 中延駅 東急大井町線 中延駅 JR横須賀線 西大井駅 |
URL | http://hebikubo.jp/ https://twitter.com/http_hebimiko |
御由緒
正確な由緒を確認できる資料は現存していない。
社伝によれば、1322(元享2)年武蔵国一帯が大旱魃に襲われ飢饉の到来が必至となった。
大森厳正寺の戌亥(北西)の森林内に古池があり、そのほとりに祀られていた龍神社に、時の当主・第二世法密上人が雨乞いの断食祈願を行ったところ、成就して見事大雨が降り注ぎ危機を免れた。
これに感激した蛇窪村の住人達は、神恩に応えて神社を勧請し祀ったのが当社の縁起とされている。
なお、創建に関しては鎌倉幕府時代、当地の豪農・森屋氏が創建したものという説も存在する。
品川区二葉2丁目に鎮座する下神明天祖神社との関係だが、元々蛇窪村の鎮守として単一の神社だった。
正保年間(1644~1647年)、蛇窪村が立会川の上流地域と下流地域(上蛇窪村・下蛇窪村)とに分離するのに伴い、上神明から下神明が分立しそれぞれの鎮守社となった。
旧社殿等は空襲によって焼失したが、1946(昭和21)年に国鉄大井機工部から本殿を譲り受け移築、仮拝殿を造営し再興する。
その後1961(昭和36)年に現社殿が再建された。
境内紹介
大井町線もしくは浅草線の中延駅を出て、第二京浜を南進。
二葉四丁目交差点で左折、三本目の路地を左に入ると社頭が見える。
JR西大井駅からであれば改札を出て左手、交番から駐輪場の方へ進み、ガード下(上蛇窪架進橋)を通る。
細い路地を道なりに進み、信号で左折し約550mほど先で右折する。
いずれのルートも、最後の曲がり角にある「伊勢元」という酒店を目印にするとよいだろう。
拝殿手前に江戸流れの狛犬一対。
黒変しているのは戦災を耐え忍んだ証か。
境内は開放感のある雰囲気で、鳥居から社殿まで真っ直ぐ参道が続く。
造営後50年以上経過している神明造の社殿だが、内部を覗けば常に整備されており真新しささえ覚える。
神職や巫女のみなさんがFacebookやTwitterなども使って色々な情報発信をなさっている。
ちなみにフォローは大歓迎とのことなので、アカウントをお持ちの方はぜひフォローを。
御朱印をお願いした際のもてなしなども嬉しく、応援したくなる神社だ。
境内社
境内社は二社。
社殿右奥に厳島神社が鎮座する。
当地にはその昔白蛇が住んでいたとのことで、この蛇を祀るべく厳島神社を勧請したという。
御祭神は市杵島姫神・田心姫神・湍津姫神の宗像三女神のほか、蛇窪龍神・白蛇大神が合わせ祀られている。
よく整備された神池には錦鯉が放たれており、心やすらぐ空間となっている。
こちらにいたる途中には、2016(平成28)年に奉納された撫で白蛇像も安置されている。
参道途中の左手に稲荷神社。
前述の雨乞い祈願に基づき奉斎されたという。
各所で紹介されている神狐像。
厳島神社の龍や蛇とともに非常にユニークな造形で印象が強烈。
真鍋勝氏による手作りとのこと。神社に対する慈しみを感じる。
御朱印・御朱印帳
御朱印
上神明天祖神社では天祖神社、蛇窪大明神、弁財天の御朱印が受けられる。
初穂料は各300円。
境内右手の授与所にて拝受可能で、通常時の受付時間は9時~17時。
天祖神社の御朱印は2015(平成27)年8月から、社紋(雨竜と七つ蛇の目)が入ったものに切り替わった。
蛇窪大明神の御朱印は1月の正月と春の4月、例大祭のある9月に色の違うタイプが期間限定で授与される。
上神明天祖神社「蛇窪大明神」御朱印の一月・四月・九月限定版。
御朱印帳
2016(平成28)年元旦より頒布が開始された上神明天祖神社の御朱印帳。
初穂料1,200円。金色の神紋、そして白蛇のデザインは頒布前から話題となっていた。
限定御朱印帳
2016(平成28)年9月に300体限定で頒布された例大祭御朱印帳。
初穂料1,500円。初日で頒布終了した。
通常版とは対照的に黒地に金色の神紋と白蛇、裏表紙には白龍がデザインされている。
2017(平成29)年4月には弁天社例祭にちなんだ色違い版も。
限定御朱印は次ページ
このほかシークレット御朱印など数々の限定御朱印については次ページにてご紹介する。
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