葛飾八幡宮
概要
平安時代前期の寛平年間、勅願により創建された下総国総鎮守・国府八幡宮。
御朱印帳にもデザインされた御神木「千本公孫樹」は晩秋にライトアップされる。
御祭神 | 中御前・誉田別命 東御前・息長帯姫命 西御前・玉依姫命 |
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社格 | 旧県社 |
鎮座地 | 千葉県市川市八幡4-2-1 |
最寄駅 | 京成電鉄本線 京成八幡駅 JR総武線 本八幡駅 都営地下鉄新宿線 本八幡駅 |
URL | https://www.katsushikahachimangu.com/ |
御由緒
寛平年間(889~898年)、第59代宇多天皇の勅願により京都・石清水八幡宮を勧請し創建されたと伝えられる。
下総国総鎮守で、至近の現・市川市国府台には国府が置かれていたことから、国府八幡宮の位置づけもあった。
古くから関東武士による崇敬が篤く、平安期には平将門による奉幣があったという。
1180(治承4)年、石橋山の戦で敗れ安房国へ逃れたのち再挙した源頼朝は下総国府へ入ると、自ら参詣し武運長久と戦勝を祈願した。
のち建久年間(1190~1199年)には千葉常胤に命じ社殿を修復させたという。
降って1479(文明11)年、太田道灌は千葉孝胤の居城・臼井城攻略の拠点として国府台城を築いた際、参拝し社殿の修築を行っている。
また、1591(天正19)年には徳川家康が社領として朱印52石を寄進した。
幕末まで上野東叡山寛永寺の末寺で天台宗の寺院・八幡山法漸寺が別当を務めた。
1880(明治13)年10月郷社に列せられたのち、1906(明治39)年12月に神饌幣帛料供進神社の指定を受け、1923(大正12)年には県社へ昇格した。
例大祭は9月15日から6日間にわたって行われ、境内には農具市に起源をもつ「八幡様のボロ市」がたち、その賑わいは関東一とも称される。
また二月の初卯祭では湯花神事や宮司舞などの特殊神事が行われる。
境内紹介
アクセスについては京成八幡駅・元八幡駅とも、国道14号線(千葉街道)に出た後、船橋方向へ進む。
元八幡駅前交差点から約170mほど先の左手に、大鳥居がそびえる表参道の入り口がある。
ここから100mほどで二の鳥居が現れるがその前には京成線の線路が通る。
参道を線路や道路が横切る神社は全国各地にあるがここもそのひとつ。
本数が多いため、鳥居の前を電車が往来する風景が数分おきに見られる。
参道を奥へ進むと1777(安永6)年造の狛犬と随神門が現れる。
幕末期造営の随身門は、もともと旧別当寺・法漸寺の山門だった。
明治の神仏分離令により法漸寺は廃寺となり、山門の仁王像は行徳の海巌山徳願寺(現・本行徳5-22)に移され、その後に左右両大臣像が置かれ随神門とされた。
1960(昭和35)年に市川市が有形文化財に指定、1979(昭和54)年・2001(平成13)年・2016(平成28)年とたびたび修繕が行われている。
参道の最奥に神門。
くぐった右手に手水舎がある。
その脇に井戸水を使用した蹲(つくばい)も設けられており、お水取りができるようだ。
境内には法漸寺ゆかりの鐘楼や力石、源頼朝の馬が脚を掛けたという「駒どめの石」などの史跡がある。
神楽殿は拝殿向かって左手に連結されている。
殿内には幕末に奉納されたという、新羅出兵の際の神功皇后と武内宿禰などを描いた大絵馬がある。
社殿は1913(大正2)年に改築ののち、1919(大正8)年、1951(昭和26)年、1984(昭和59)年と、三度の修築整備がなされている。
本殿右脇に、樹齢1200年以上・高さ22mという御神木のイチョウの大木がそびえる。
落雷で折れた主幹を囲み多数の支幹が伸びていることから「千本公孫樹」との呼称をもつ。
1931(昭和6)年2月に国の史跡名勝天然記念物に指定された。(※登録名は千本イチョウ)
境内社
葛飾八幡宮には五社の境内社が鎮座している。
境内東側には厳島社(湍津姫命・田霧姫命・市杵嶋姫命)。
植栽に囲まれた池が美しい。
境内北側に立派な社号標と玉垣が備えられた葛飾天満宮(菅原道真公)。
その隣に尾上稲荷社(宇迦之御魂神)。
両脇に道祖神や青面金剛像が祀られた八坂社(健速須左之男命)。
移築再整備された富士塚の山頂には、1799(寛政11年)造の浅間社祠(木花開耶姫命)が祀られている。
不知森神社
国道14号線をはさんだ市川市役所の向かいに「八幡の藪知らず」の語源となった禁足地「不知八幡森」がある。
玉垣で仕切られた約300坪の竹藪で、国道に面して境外末社・不知森神社が祀られている。
「ここに立ち入れば外へ出られなくなる、祟りがある」といわれることから、出口のわからないこと、迷うことなどの例えにされ、禁足地ゆえの伝承が様々に残されている。
葛飾八幡宮を最初に勧請した元宮の土地
平将門が乱を起こした際、将門軍の鬼門に当たった場所
平将門平定の折、平貞盛が八門遁甲の陣を敷き、死門の一角を残したため、立ち入ると必ず祟りがある
平将門の家臣6人が将門の首を護り続け、泥人形になった土地
平将門の父、平良将の墓所
伝承を聞いた徳川光圀(水戸黄門)が当地に立ち入り、神誡を蒙ったという。
これを浮世絵師・月岡芳年が三枚綴りの錦絵にしている。
なぜ禁足地になったかの根拠は不明で、旧別当・法漸寺が放生会を行う池が存在した、かつてここが行徳の入会地で八幡の住民がはみだりに入ることが許されなかった、などの説が有力とされる。
御朱印・御朱印帳
御朱印
神門向かって左手の授与所にて受けられる。
初穂料300円。
授与所の対応時間は9:00~16:00だが、御朱印の対応は15時半に終えられるようだ。
何処の社寺でも同様だが、ご迷惑にならぬよう時間に余裕を持った参拝を心がけたい。
御朱印帳
初穂料1,000円。
千本公孫樹と八幡宮の扁額がデザインされている。
三十三周年式年大祭
2017(平成29)年は、33年毎に行われる式年大祭の年。
大祭の期間中、御朱印は奇をてらわず「三十三周年式年大祭」の浄書を添えた書き置きが授与された。
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