御岩神社
御祭神:国常立尊・大国主命・伊邪那岐尊・伊邪那美尊・武甕槌命・木花開耶姫命・面足命・誉田別命・月夜見命・軻遇突知命・奥津彦命・奥津姫命・素戔嗚命・大山祇命・倉稲魂命・天御中主命・高皇産霊命・神皇産霊命・大己貴命・少彦名命・金山彦命・金山姫命・別雷命・日本武尊・立速男命・菅原道真公(※全山総祭神188柱)
社格:延喜式内小社・旧村社
URL:http://www.oiwajinja.jp/
所在地:茨城県日立市入四間町752
最寄駅:JR常磐線 日立駅から日立電鉄バス60東河内方面「御岩神社前」停留所
御由緒:創建時期は不明だが、縁起書等によると、天地開くる時よりこの霊山に鎮まると伝わっており、721(養老5)年に成立した旧常陸国の地誌「常陸国風土記」には「かびれの高峰に天つ神鎮まる」と記されている。
いずれにせよ、当地が早い時期から祭祀の聖地であったことは、発掘された縄文時代の祭祀遺跡等が裏付けている。
927(延長5)年に編纂された「延喜式神名帳」には薩都神社(常陸太田市里野宮町1052)の本宮として、常陸国二十八座の一つとして記載されている。
江戸時代に入ると1630(寛永7)年、水戸藩初代藩主・徳川頼房は出羽三山を勧請し、湯殿権現と称された。
(※これが創祀とする説もある)
その後二代藩主・徳川光圀が大日如来を本地とする御岩大権現と改称、1659(万治2)年には大日如来を祀った大日堂も建立された。
以降、当社は水戸藩の祈願所として定められ、藩主は代々参拝するのを常例とされた。
また社殿の維持や参拝者より徴収する「山役銭」の管理まですべて水戸藩によって行われた。
明治維新後は神仏分離令が施行されたため、大日堂、観音堂、念仏堂、大仁王門といった仏教施設は解体されたが、境内の石造物や祭事などに、今日でも神仏習合の名残りが色濃く残されている。
日立駅から日立電鉄バスで県道36号線を約30分。
「御岩神社前」で下車すると案内看板があり、そこからすぐである。
鳥居まで至る途中の右手に駐車場があり、その脇には境内社の弁天社・阿夫利社が鎮座する。
鳥居をくぐり、まずは祓戸神社でお清め。登拝者用の杖がここで借りられる。
更に参道を進むと左手に愛宕神社、そして1991(平成3)年に再建された楼門。
阿形と吽形の仁王が神域を護る。
楼門の直前には有名な県指定天然記念物の三本杉。
推定樹齢600年以上・樹高50メートル、林野庁「全国森の巨人たち百選」にも選定されたこの巨木はフレームに収まりきらない。
そしてその外観の存在感だけではなく、圧倒的な気を放つ。
この空間を独り占めできていることに感謝しつつ、苔むした数々の石造物や深い社叢に囲まれながら、ひんやりとした空気の参道をさらに奥へ。
石段を登る手前の不動明王が祀られた池はただならぬ雰囲気。
そしてその先、大日如来像・阿弥陀如来像が安置されている斎神社が姿を現す。
御祭神は天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神の造化三神と八衢比古神・八衢比賣神。
二の鳥居から朱塗りが美しい神橋を渡り、先へ進む。
短い石段を登ると尾流れの狛犬。苔生した姿の厳かさに感じ入る。
そして御岩神社の御社殿にたどり着く。
その佇まいは、正に「神々しい」という言葉以外の表現が思い浮かばない。
社殿の周囲には四座の境内社。
右手に稲荷総社(清浄稲荷・十方稲荷・白狐稲荷・真崎稲荷・伏見稲荷)と姥神、左手表参道入口に入四間不動明王・八大龍王神。
ここから奥宮的な位置付けの賀毘礼(かびれ)神宮へと向かうのだが、表参道はかなり険しい山道である。
登拝される方は、本格的とまでは言わないが服装や靴などにそれなりの準備をされた方がいいだろう。
裏参道側はそこまで厳しい道ではないが、革靴やヒール等での登拝は無謀であることを申し添えておく。
賀毘礼(かびれ)神宮の御祭神は天照大神・邇邇藝命・立速日男命である。
立速日男命はまたの名を速経和気命という。雷神の性格を持つとされ、常陸国風土記にのみ登場する神である。
賀毘礼神宮から更に15~20分登ると山頂である。
ここからの絶景を眺めながら、ふと「平和の尊さ」が頭をよぎる。
帰りは比較的傾斜が穏やかな裏参道から。
この途中に薩都神社中宮が鎮座している。御祭神は立速日男命。
御岩神社 御朱印。初穂料300円。祓戸神社脇の社務所にて受けられる。
残念ながら今回下調べ不足で姥格光神社、薩都神社奥宮、天岩戸、磐座などを見逃してしまったので、再度参詣したい。
ディスカッション
コメント一覧
こんにちは。
こちらの神社、初見なんですが素敵な所のようですね。行ってみたいですが、車無しの自分には厳しそうかな。しかし、188柱もお祭りされてるとは凄いですね。
うくれれAさん、こんにちは。
車じゃ無くても都内からは常磐線、日立市内はバスで行けますよ^^
さすが数多くの神仏が奉斎されているだけあって、霊山としての厳かさは半端ではありませんでした。