息栖神社

2014年4月28日

息栖神社
御祭神:久那戸神(岐神/衝立船戸神)
相殿神:天鳥船命・住吉三神(底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命)
社格:国史見在社・旧県社
URL:http://kashimajingu.jp/guidance/周辺地図
※鹿島神宮による紹介ページ
所在地:茨城県神栖市息栖2882
最寄駅:JR成田線 小見川駅
他、羽田空港や東京駅、東京テレポート駅発などの高速バスで鹿島セントラルホテルにて下車後徒歩かタクシー。
御由緒:第15代応神天皇の御代(270~312年)に日川の地(現・神栖市日川)に創建されたという。
史書「三代実録」に「於岐都説神(オキツセノカミ)」と記されており、これが当社と推定されている。
延喜式にはその記載が確認されていないため、国史見在社の扱いとなっている。
古くより鹿島神宮香取神宮とともに東国三社の一社として多くの崇敬を集めてきた。
807(大同2)年4月13日、平城天皇の勅命を受けた右大臣・藤原内麻呂によって現在地に遷座されたと伝えられ、江戸時代においては幕府の崇敬が篤く、1604(慶長9)年に鹿島神宮領から14石が与えられた。
1877(明治10)年、県社に列し独立した神社として扱われているが、古来鹿島神宮との関係が深く鹿島の摂社として位置づけられており、現在でも鹿島神宮の公式ページには境外摂社として記載されている。
社殿は1960(昭和35)年に火災によりで焼失し、現在の社殿は火災から3年後の1963(昭和38)年5月1日に鉄筋コンクリート造で再建された。
神門は1847(弘化4)年に造営されたもので、焼失を免れ現存している。
息栖神社 鳥居と社号標息栖神社 稲荷神社鳥居
朱塗りの二の鳥居をくぐり、境内へ進むと参道左手に稲荷神社がある。
息栖神社 稲荷神社社殿息栖神社 参道
再び参道へ戻り、参道をまっすぐ進むと左側には手水舎。
息栖神社 手水舎(御手洗)息栖神社 神門
神門は前述の通り、幕末の1847(弘化4)年に造営されたもの。
息栖神社 神門奥の参道息栖神社 末社
神門をくぐりさらに奥へと。途中右手に合祀殿が2社。
左は4社合祀。鹿島神社・伊邪那岐神社・高房神社・奥宮。
右は5社合祀。香取神社・手子后神社・八龍神社・江神社・若宮。
息栖神社 社殿息栖神社 一の鳥居
社殿は入母屋造。穏やかに包み込み、趣を感じさせる雰囲気。
なお参道を戻りそのまままっすぐ利根川まで行ったところに一の鳥居が建っている。
その両脇に二つの井戸がある。
息栖神社 忍潮井(おしおい)女瓶息栖神社 忍潮井(おしおい)男瓶
汽水域で海水を押し退けて湧き出す淡水は忍潮井(おしおい)と呼ばれ、伊勢の明星井、山城の直井と並び、日本三霊泉の一つに数えられている。
利根川に向かって右が男瓶(おがめ・鳥居が高い方)、左が女瓶(めがめ・鳥居が低い方)。
男瓶は銚子の形、女瓶は土器の形となっていて、水の澄んだ日のみ姿を現し、その姿が見られると幸運が舞い込むといわれている。
が、夏場は水が濁り気味となるようなので、試したいならば寒い時期の方が良いだろう。
ちなみに水面が光って写真が上手く撮れなかったが、この日の水は澄んでいて確かにそのようなものが底に沈んでいた。
女瓶の水を男性が、男瓶の水を女性が飲むと二人が結ばれるという言い伝えもあるが、現在は飲用に適さない。
息栖神社 御朱印
息栖神社 御朱印。初穂料300円。拝殿左手の社務所にて受けられる。
1930(昭和5)年7月に三笠宮崇仁親王殿下の参拝時に下賜されたという水晶製の印が捺されている。