笠間稲荷神社

2016年6月8日

笠間稲荷神社
御祭神:宇迦之御魂神
社格:旧村社・別表神社
所在地:茨城県笠間市笠間1番地
最寄駅:JR水戸線 笠間駅
かさま観光周遊バス(JR常磐線 友部駅発着) 笠間稲荷神社前停留所
茨城交通高速バス 関東やきものライナー(秋葉原駅発着) 笠間稲荷神社入口停留所
URL:http://www.kasama.or.jp/
御由緒:社伝によれば第36代孝徳天皇の御代、651(白雉2)年の創建と伝えられている。
鎌倉時代に笠間城を築城した笠間時朝をはじめ、歴代城主により篤い崇敬を受けた。
笠間藩初代藩主・松平康重は丹波国篠山藩に移封後に当社の御分霊を勧請し、王地山稲荷(兵庫県篠山市河原町92)を創立している。
三代藩主・松平(戸田)康長、四代藩主・永井直勝は笠間藩からの転封後、当社の御分霊を奉斎、崇敬したという。
また忠臣蔵で有名な大石内蔵助は、1694(元禄7)年に笠間より勧請・奉斎した大石稲荷社を祀っている。
(現・兵庫県赤穂市上仮屋131-7、赤穂大石神社境内の大石庭園内に鎮座)
十三代藩主・井上正賢(のち正経)は、1743(寛保3)年に当社を藩主祈願所と定め、社地社殿の拡張に努めた。
1747(延享4)年に入封した牧野貞通も同じく祈願所とし、社地や祭器具等を寄進している。
1859(安政6)年、牧野貞直は日本橋の江戸下屋敷内に御分霊を奉斎し邸内社としており、これが現在の東京別社になった。
年間350万人、正月三が日だけで80万人以上の参拝者が訪れ、初詣参拝者数では県内1位、全国でも有数の規模となっている。
笠間稲荷神社 手水舎笠間稲荷神社 東門
笠間稲荷神社 総門(東門)神馬像・黒笠間稲荷神社 総門(東門)神馬像・白
鳥居は2016(平成28)年4月現在修復工事中。
東日本大震災での損壊や経年劣化のため5基あった鳥居が撤去され、現在大鳥居の再建が進められている。
総工費の約9千万円は全額が全国から寄せられた奉賛金で賄われるという。
東側参道、1814(文化10)年造営の総門は健在。
かつて奉安されていた随神像はのちに新築された楼門に移され、現在は御幣と白黒の神馬木像が奉安されている。
笠間稲荷神社 楼門笠間稲荷神社 交通安全祈願所
1961(昭和36)年造営の楼門には「萬世泰平門」との正式名があるようだ。
楼門の左脇には車祓のための交通安全祈願所も。
笠間稲荷神社 拝殿笠間稲荷神社 扁額
千鳥破風・唐破風付入母屋造で、総面積98坪(約300㎡)を有する鉄筋コンクリート造の拝殿は1960(昭和35)年10月造営。
話はそれるが、笠間稲荷神社にはふたつの通称がある。
当地にあった胡桃の密林にちなんで称された「胡桃下稲荷(くるみがしたいなり)」と、笠間藩主・牧野貞通の一族である門三郎が、深い信仰心から多くの人々に功徳を施したという伝承から「紋三郎稲荷」とも呼ばれた。
「紋三郎稲荷」の名は古典落語の題名にもなっていて、笠間藩の下級武士が、籠屋らの勘違いを利用して笠間稲荷の眷属狐になりすまし、信心深い人々を化かす話である。
笠間稲荷神社 本殿(国指定重要文化財) (1)笠間稲荷神社 本殿(国指定重要文化財) (2)
笠間稲荷神社 本殿(国指定重要文化財) (3)笠間稲荷神社 本殿(国指定重要文化財) (4)
本殿は江戸末期の1860(万延元)年に造営された国指定重要文化財である。
外陣(旧拝殿)及び内陣(本殿)で構成され、外観の周囲には当時の名匠・後藤縫之助や弥勒寺音八・諸貫万五郎による秀逸な彫刻が施されている。
笠間稲荷神社 聖徳殿笠間稲荷神社 山倉神社・境内末社合殿
境内右脇と本殿後方に境内末社が鎮座している。
聖徳殿には聖徳太子のほか、常陸七福神の大黒天(大国主大神)、事比羅社(大物主大神)が祀られている。
本殿後方には山倉神社(高皇産霊神・建速須佐之男神・大国主神)、合祀殿には月讀神社(月讀尊)、白山比咩神社(菊理媛命・伊邪那岐命・伊邪那美命)、菅原神社(菅原道真公)、粟島神社(少彦名神)が祀られている。

笠間稲荷神社 御朱印笠間稲荷神社 常陸七福神・大黒天御朱印
笠間稲荷神社と常陸七福神・大黒天の御朱印。初穂料各300円。
拝殿前左手の授与所にて受けられる。