常磐神社


御祭神:高譲味道根之命(徳川光圀)・押健男国之御楯命(徳川斉昭)
社格等:別格官幣社・別表神社
所在地:茨城県水戸市常磐町1-3-1
最寄駅:JR常磐線 水戸駅・偕楽園駅(※臨時駅)
鹿島臨海鉄道大洗鹿島線 水戸駅
関東鉄道バス (水戸駅北口発着) 偕楽園停留所
茨城交通バス (水戸駅北口発着)10系統 偕楽園・常磐神社前停留所
URL:http://www.komonsan.jp/
御由緒:1833(天保4)年、常陸水戸藩9代藩主・徳川斉昭は、元七面山と称した当地を藩内随一の景勝地として、回遊式庭園の造園を計画する。
1842(天保13)年7月1日、儒教の経書「孟子」の一節から斉昭自ら名付けた偕楽園が開園された。
園称は「領内の民と偕(とも)に楽しむ場」の意。
1868(明治元)年、園内に義公(徳川光圀)・烈公(徳川斉昭)の徳を慕う旧水戸藩士らによって祠堂が建立される。
1873(明治6)年3月、明治天皇の勅旨により「常磐神社」の社号が下賜され、県社に列せられた。
また同年10月には、両祭神に対し「高譲味道根命(たかゆずるうましみちねのみこと)」「押健男国之御楯命(おしたけおくにのみたてのみこと)」の御神号が宣下されている。
さらに偕楽園内の現在地に社殿が造営され、1874(明治7)年5月12日に遷座祭が行われ、同日が例祭日に定められた。
1882(明治15)年、別格官幣社に昇格している。
1945(昭和20)年8月2日米軍の無差別爆撃(水戸空襲)によって、神楽殿を除いた社殿以下境内建造物を焼失する。
1958(昭和33)年、全国の崇敬者からの浄財によって現社殿が再建され、現在に至る。

鎮座地は水戸駅から約2km強西方の、偕楽園公園東門に隣接している。
通常時は、水戸駅北口のバス乗り場6番から関東鉄道バスに乗り、終点の「偕楽園」で下車すると表参道に最も近くアクセスできる。
表参道のほぼ向かい側にある常磐線の臨時駅・偕楽園駅については、2~3月の梅まつり期間中水戸方向への下り線のみが停車する。
表参道は長い石段で大鳥居もここにある。
大鳥居は1968(昭和43)年に、常磐神社明治100年記念事業奉賛会により納められた。
この奉賛会の総裁は水戸徳川家第13代当主・徳川圀順氏。
当社祭神・徳川光圀によって開始され、編纂が続いていた史書「大日本史」を完成させた人物である。

水戸駅北口のバス乗り場4番からの茨城交通バスの「偕楽園・常磐神社前」は当社の駐車場および東参道に近い。
東参道の社号標には「別格官幣社」の文字。
別格官幣社とは、近代社格制度の格式のひとつで、官幣小社と同格の位置づけである。
国家に対し功労があり広く国民からの崇敬を受ける人臣を祭神とする28社が列せられていた。


境内にいたると、1927(昭和12)年造の狛犬が待っている。
護国系に分類されるであろうシルエット。
手水舎のそばには1987(昭和62)年造の一対も。


戦後に再建された社殿はRC造で、焼失した旧社殿同様に神明造。
三つ葉左葵巴紋(将軍葵)の御神紋と菊花紋が染め抜かれた神前幕に、当社の格式の高さが顕れている。
本殿裏に回ると、備前焼の狛犬が一対。
大洗磯前神社随神門前のそれと同一人物による奉納だという。

境内社は三社。
境内西側の手水舎付近に鎮座しているのは、摂社・東湖神社。
1943(昭和18)年に創建された藤田東湖(藤田彪)を祀る神社で、社地には元々鎮霊社(現・茨城県護国神社)が祀られていた。
藤田東湖は徳川斉昭公の腹心として、戸田忠太夫とともに水戸の両田と称された人物。
また、両名に武田耕雲斎を加え、水戸の三田とも称される。
藩政改革や藩校・弘道館の創立をはじめ、大日本史編纂など多方面で功績を挙げ、幕府の海防政策にも参画した。
水戸学藤田派の学者としても著名で、「弘道館記」の草稿を起草したほか「常陸帯」「回天詩史」「文天祥正氣ノ歌ニ和ス」「弘道館述義」などの著作を残しており、西郷隆盛や橋本景岳ら全国の尊皇志士に大きな影響を与えている。


末社・三木神社が境内左奥、本殿脇に鎮座している。
御祭神の三木之次命・三木武佐命は、水戸藩の重臣だった三木之次とその妻・武佐。
徳川光圀は水戸城下にあった三木邸で生まれ、5歳まで育てられた。
常磐神社社殿に向かって右手には空襲唯一焼け残った神楽殿を改修した能楽殿があり、そばに常磐稲荷神社(祭神:宇迦之御魂命)が祀られている。

常磐神社と摂社・東湖神社の御朱印。初穂料各300円。
拝殿向かって左手の第一授与所で拝受可能。