箱根神社・九頭龍神社新宮

2015年10月31日

御祭神 箱根大神(瓊瓊杵尊・木花咲耶姫命・彦火火出見尊)
社格 旧国幣小社・別表神社
鎮座地 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1
最寄駅 ※以下の鉄道各駅よりいずれもバス乗り換え要
小田急ロマンスカー・箱根登山電車 箱根湯本駅
小田急小田原線 小田原駅
JR東海道線 小田原駅・三島駅・熱海駅
最寄バス停:伊豆箱根バス 元箱根停留所
沼津登山東海バス 元箱根停留所
箱根登山バス 元箱根停留所
URL http://hakonejinja.or.jp/

御由緒

当地は古代から山岳信仰の中心地であったとされ、孝昭天皇の御代には聖占仙人によって、箱根駒ヶ岳山頂に神山を御神体とした神仙宮が開かれた。
朝廷の命を受け、箱根山の山岳信仰を束ねるために入山した萬巻上人は、3年にわたり修行を行い箱根三所権現(法躰・俗躰・女躰)を感得する。
法躰は文殊菩薩、俗躰は弥勒菩薩、女躰は観世音菩薩の垂迹とされる。
さらに757(天平宝字元)年、萬巻上人は霊夢で神託を受け、三所権現を勧請奉斎したと伝わる。
山岳信仰と修験道が習合した箱根三所権現は関東有数の霊山となり、源頼朝をはじめ将軍や有力武家の崇敬を受け発展していく。
とりわけ鎌倉幕府の崇敬は篤く、1180(治承4)年8月、石橋山の合戦で敗走してきた源頼朝を別当の行実が救ったことにはじまる。
同年10月16日、頼朝は箱根権現へ早川荘を寄進しており、その後も箱根権現と伊豆山権現を深く崇敬したびたび参詣している。
これに習い鎌倉歴代将軍も「二所詣」として両社を公式に参拝するようになった。
1228(安貞2)年10月17日、火災により社頭・僧坊の大半を焼失したが、同年12月には鎌倉幕府が再建している。
また、関東公方足利持氏、北条早雲・氏綱ら関東武家からも手厚く保護された。
豊臣秀吉による小田原征伐の際にも焼失したものの、徳川家康が社領200石と社地不入の朱印状を発行し、社殿を再建している。
箱根宿が開かれ東海道が整備された江戸中期以後は、人の往来も増え庶民からの信仰も篤くなった。
1868(明治元)年の神仏分離令により、別当寺の金剛王院東福寺は廃寺となり、箱根神社と改称する。
1874(明治6)年には明治天皇と昭憲皇太后が参拝し、その後も各皇族による参拝が続いた。
1928(昭和3)年11月、昭和天皇の即位大礼を記念して国幣小社に列した。
1964(昭和39)年、西武グループの創業者・堤康次郎の寄進によって駒ヶ岳山頂に箱根元宮が再建されている。
1980(昭和55)年、昭和天皇・香淳皇后の参拝があり、翌56年に皇太子殿下も参拝した。
1999(平成11)年には九頭龍神社本宮より分霊した新宮が境内に造営された。

境内紹介



バス停の最寄りは「元箱根」停留所で、そこから徒歩700m強。
大鳥居は小田急系の遊覧船・箱根海賊船「元箱根港」そばにあるため、こだわる人はバスでそちらまで。
元箱根交差点から湖畔を沿うように北へ進むと二の鳥居、末社日枝神社(大山咋神)・来宮神社(大国主神)と続く。

「国幣小社」と刻まれた社号標、三の鳥居を過ぎ、森深い参道へ。
途中、神仏習合を感じさせる第六天神社(淤母陀琉神)へのお参りも忘れずに。

矢立の杉・参道石段・曾我神社




先へ進むと神奈川県名木100選にも選出された「矢立の杉」、手水舎がある。
90段の正参道石段は一見難所のようだが、意外と登りやすい。
その途中には、三大仇討ちで有名な曾我兄弟を祀る曾我神社(曾我十郎祐成之命・曾我五朗時致之命)。
弟の箱王丸(曽我五朗時致)は当社の稚児として預けられていた。
兄弟は、仇討ち前に成就を祈願するため当社に参詣し、別当が十郎祐成には黒鞘巻の小刀、五朗時致には兵庫鎖の太刀を与えたといわれる。


石段を登り切ると神門前へ。
平日でも午前中の比較的早い時間から参拝者が途切れない。

社殿・御朱印帳・御朱印

次ページにて箱根神社と九頭龍神社新宮の社殿、御朱印帳、御朱印をご紹介する。