寒川神社(相模国一之宮)

2014年11月2日

概要

八方除祈願で有名な相模国一之宮。
15,000坪の広大な境内は、春分秋分および夏至冬至の際、日没線が交差するという特別な聖地でもある。

御祭神 寒川大明神(寒川比古命・寒川比女命)
社格 延喜式内名神大社・相模国一之宮・旧国弊中社・別表神社
鎮座地 神奈川県高座郡寒川町宮山3916
最寄駅 JR相模線 宮山駅
URL http://samukawajinjya.jp/

御由緒

創建時期は不詳であるが、「日本惣国風土記」によれば472(雄略天皇16)年9月に幣帛が奉じられたとあり、また727(神亀4)年には社殿が造営されたという記録がある。
869(貞観11)年に完成した「続日本後紀」では846(承和13)年に「相摸國无位寒河神並從五位下」(※相模国無位寒河神に従五位下の神階が授与された)との記載があり、927(延長5)年に編纂された延喜式神名帳には相模国十三社のうち唯一、名神大社に列せられている。
中世に入ると源頼朝や後北条氏といった武家からの崇敬を集め、武田信玄は小田原攻めの際に当地付近に陣を構え、兜を奉納している。
江戸時代に入っても将軍家から篤く尊崇があった。
寒川神社は御祭神・御神徳に謎が多く、現在の御祭神は寒川大明神(寒川比古命・寒川比女命の二柱)に落ち着いているが、これは1876(明治9)年のこと。
それまでは寒河神の他、八幡大菩薩・応神天皇、菊理媛、澤女神、素戔嗚尊、大己貴尊、稲田姫尊など様々な神が御祭神とされてきたが、寒川比古命・寒川比女命の二柱はいずれも記紀に登場しない神である。
神社では相模国を始め関東地方を開拓した親神としているが、これはつまり土着の神、固有の自然信仰を神格化したものと推測できる。
当地一帯では縄文・弥生の遺跡が数多く発掘されており、その中には水霊信仰や祭祀の跡や出土品がみられる。
社地は春分・秋分線と夏至・冬至の日没線の交点であり、各線の延長上には大山、箱根山、富士山などの霊峰もある。
往古は相模川の河口に位置し生活の拠点であったとともに、祭祀における重要な霊地だったのであろう。
このような地勢的背景からか、かつての境内には天体信仰や陰陽五行、九星などの方位信仰にまつわる神仏が祀られていたといい、現代の寒川神社が八方除を御神徳として掲げていることにも納得がいく。

境内紹介


最寄りは相模線の宮山駅。
ここからそばを流れる相模川伝いに5分ほど歩くと右手に大きな参集殿が見えてくる。
そのそばが社頭となるが、表参道自体は1kmほど南の大門踏切からはじまっている。
一の鳥居と二の鳥居はその参道に建っており、表参道入口から参拝したい場合は寒川駅で下車したほうが近い。



相摸國一之宮国弊中社と記された社号標が格式の高さを感じさせる。
神池橋は2011(平成23)年に掛け替えられた。三の鳥居は檜造の明神鳥居。
鳥居をくぐったすぐ右手に神池がある庭園へ降りる小道がある。

参道途中には1796(寛政8)年に寄進されたものの、安政の大地震と関東大震災の二度にわたり倒壊した旧一の鳥居の一部が残されている。



神門前に手水舎、狛犬、神馬舎など。
右手に御祈祷受付所や社務所があるが、どれも非常に大きな造りになっている。
さすが大社の風格。


廻廊に囲まれた内庭。雄大な社殿は1997(平成9)年に総改築された。
背後には神域・神嶽山を含む神苑を有する。
この空間、地から湧き上がるのか空から降りてくるのかはわからないが、これだけ多くの人がいても強いなにかを感じる。
早朝の参拝だったとしたら神気は如何ばかりであろうか。



拝殿右脇には八方除の神様らしく方位盤と渾天儀が設置されている。
台座には四聖獣のレリーフも。


一般参拝可能な末社は一社、宮山神社が表参道入口から少し入った左手に鎮座する。
宮山各地区にかつて鎮座していた小祠七社(琴平社、八劍社、雷社、若宮八幡社、祢岐志社、稲荷社、三峰社)を合祀している。
なお、この社殿の方向には大山がそびえており、参拝すると遥拝する形になる。

御朱印・御朱印帳

御朱印

寒川神社の御朱印。
神門の手前、右手奥にある社務所でご対応いただける。
初穂料はお気持ちでとのこと。

以前の御朱印

以前は八方除の金文字やハマゴウの印判が無かった。

御朱印帳

寒川神社 御朱印帳。
頒布価格1,300円。
渾天儀と北斗七星、裏表紙は方位盤のデザインが秀逸。
社務所や授与所では扱っておらず、社務所右手の売店、参集殿などで取り扱っている。

この他にも神紋をあしらったタイプなど複数の種類がある。

寒川神社の地図