元宿神社
御祭神:誉田別命・倉稲魂命
社格:旧村社
所在地:東京都足立区千住元町33-4
最寄駅:JR常磐線 北千住駅
東京メトロ千代田線・日比谷線 北千住駅
つくばエクスプレス 北千住駅
東武鉄道伊勢崎線(スカイツリーライン) 北千住駅
足立区コミュニティバスはるかぜ8号(北千住駅~小台・宮城循環) 桜木町停留所
URL:http://adachikanko.net/spot/shrines-temples04/id-060
御由緒:当地は鎌倉時代、既に集落ができていたとされる。
甲斐武田氏に仕えていた鈴木印幡守貞宗の子・蔵人は1526(大永6)年に武州安達郡へ移り、さらに陸羽街道「元宿」に転居した。
蔵人の子・左衛門尉信義は徳川氏に仕え、天正・慶長の戦乱において幾度となく戦功を挙げたと伝えられる。
信義は1573(天正元)年以降元宿耕地や川田耕地を開墾し、1574(天正2)年8月、元宿耕地の東南(巽)に八幡神祠を、9月に東北(艮)に稲荷神祠をそれぞれ建てたのが当社の始まりとされる。
1909(明治42)年、政府が主導した神社合祀政策により、元宿八幡神社が千住四丁目氷川神社に合祀された。
荒川放水路開削により、1910(明治43)年には稲荷社も千住四丁目氷川神社に合祀されている。
1930(昭和5)年、八幡神社に氷川神社に合祀されていた稲荷神を合祀し、再び元宿の鎮守として復祀され村社に列格している。
1931(昭和6)年、町制施行により元宿が元町と改められたことにより、旧地名を遺すべく社号を元宿神社と改称した。
墨堤通りにある帝京科学大学入口交差点から、北東に入った通り沿いが鎮座地。
社地は背面に都営千住元町アパート4号棟、左右は帝京科学大学千住キャンパス2号館と3号館に囲まれており、付近から社殿の姿は見えない。
参道入口付近まで行くと、千寿七福神の案内板と社号碑があることで神社の存在を認識できる。
ちなみに千寿七福神の開催中は幟旗が立てられるので、初参詣の人でもわかりやすい。
奥に進むと、鳥居付近に大師堂と八幡大菩薩像が祀られた祠がある。
大師堂は1925(大正14)年に建立され、荒川綾瀬辺八十八ヵ所(荒綾八十八ヵ所)霊場の五番となっている。
一方、八幡大菩薩像はその御神体を鈴木印幡守貞宗(あるいは源信義とも)が背負って信濃の戦場を駆け巡り、必勝を祈願したものといわれている。
八幡大菩薩像の横には手水舎。
手水舎の奥には足立区登録有形民俗文化財の「感旧碑」という石碑が建てられている。
鈴木印幡守貞宗の末裔である鈴木与吉氏によって1916(大正5)年に造立されたこの碑には、荒川放水路開削により祖先伝来の土地を離れざるを得なくなった思いが記されている。
感旧碑のすぐ横が社務所で、窓口の前に寿老神の尊像が祀られている。
千寿七福神の寿老人は稲荷山勝林院源長寺の地蔵尊だったが、2008(平成20)年に当社へ変更された。
拝殿前の狛犬は1935(昭和10)年9月の奉納。
この時期によく見られる招魂系だが、若干丸みを帯びたフォルム。
社殿は平入切妻造の拝殿と、独立した流造の本殿で構成されている。
なぜか由緒や略年表にその記載がなく、造営時期が不明なのだが、復祀された1930(昭和5)年頃であろうか。
1979(昭和54)年、現社務所の改築にあわせて修繕されている。
社殿向かって右手、神楽殿の後方に三峯神社が石碑にて祀られている。
三峯神社碑の左手には足立区登録有形民俗文化財の庚申塔(猿田彦神)。
元宿神社 御朱印。初穂料各300円。
正月の千寿七福神めぐりの開催期間中のみ、社号の御朱印と千寿七福神めぐり・寿老神の二種が受けられる。
社殿向かって左手の社務所にて授与される。
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