愛宕神社(芝愛宕山鎮座)
概要
江戸時代初頭の慶長8年、幕府の命により火防の神として創建された。
日本三大愛宕の一社。
天然の山としては東京23区内で最も高い愛宕山に鎮座している。
御祭神 | 火産霊命 配祀 罔象女命・大山祇命・日本武尊 |
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社格 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都港区愛宕1-5-3 |
最寄駅 | 東京メトロ日比谷線 神谷町駅 東京メトロ銀座線 虎ノ門駅 都営地下鉄三田線 御成門駅 |
URL | http://www.atago-jinja.com/ |
御由緒
1603(慶長8)年、江戸幕府開幕にあたって、徳川家康公の命により江戸の防火・防災の守り神として創建された。
幕府の篤い保護を受け、1610(慶長15)年、庚戊本社をはじめ、末社仁王門、坂下総門、別当所等が将軍家の寄進により建立されており、祭礼などにも都度下附金の給付があったという。
1634(寛永11)年、三代将軍家光公の御前にて、四国丸亀藩の曲垣平九郎盛澄が騎馬にて86段ある正面男坂を駆け上り、国家安寧の祈願をした。
その後境内に咲く源平の梅を手折り、将軍に献上した事から日本一の馬術の名人として名を馳せ、「出世の石段」の名が全国に広まったとされる。
1860(安政7)年には水戸藩浪士が幕府の大老・井伊直弼を暗殺した「桜田門外の変」の集合場所ともなっている。
また、1868(明治元)年、新政府軍と旧幕府軍の武力衝突の緊張が高まる中、勝海舟と西郷隆盛は愛宕山上で江戸市中を見渡した後に薩摩藩蔵屋敷に於いて会談し、これが基礎となり江戸城無血開城へと繋がった。
社殿は江戸期の大火や関東大震災、空襲により焼失しており、現社殿は1958(昭和33)年に再建されたものである。
境内紹介
愛宕神社の参道はいくつかあるが、やはり愛宕神社といえば表参道の男坂であろう。
神谷町駅、御正門駅いずれからも、愛宕下通り(都道301号線)に入り北進するルートとなる。
その他、虎ノ門駅1番出口から西新橋一丁目交差点を右折し南進するルートも。
足腰に不安のある方は愛宕山トンネルの東側、NHK放送博物館そばにエレベータも設置されているので、そちらを利用されるとよい。
石段下の狛犬は青銅製。角があるので正統派。
前田栄治郎氏により1933(昭和8)年に奉納されたものだが、当初阿像には角が無く近年補修された際に角が追加された。
出世の石段を登り切ると左手に手水舎がある。
再び参道へ戻り丹塗りの門をくぐり、拝殿へ。
拝殿前左脇には「招き石」なるものがあるので撫でておく。
その後方に出世の石段にちなむ平九郎手折りの梅の木。
社殿は2014(平成26)年に屋根が葺き替えられた。
境内社
社殿向かって右には境内社が三社。
社殿側から順に太郎坊社(猿田彦神)、福寿稲荷神社、大黒天・恵比寿神社と並ぶ。
境内社の正面には美しい庭園と池が広がる。庭園には辨財天社(市杵嶋姫命)が祀られている。
池には小舟が浮かび、様々な色の鯉が優雅に泳いでいる。
鯉のエサが授与所で売られており(100円)、水温が下がる冬季を除いてエサやりが楽しめる。
ただし、陸に上がる勢いで鯉が重なり合ってエサを求めに来る絵は結構エグい(笑)。
御朱印・御朱印帳
御朱印
愛宕神社の御朱印は初穂料400円。
御朱印、御朱印帳ともに社殿右手の境内社を過ぎたところにある授与所にて受けられる。
限定御朱印
1月の人日に行われる「七草火焚祭」では墨書きが変更される。
また、6月下旬に開かれる千日詣り・ほおずき市縁日では、斎行日に茅の輪をくぐって参拝すると千日分の御利益が得られるとの信仰があり、御朱印にはほおずきの印判が加わる(平成28年は赤、平成29年は緑)。
また、かつて境内に自生していたほおずきを服用すれば、子供の癇・婦人病に霊験ありとされていた。
現在は境内でほおずきの鉢植えが頒布される。
隔年で執り行われる例大祭「出世の石段祭」時には墨書きなどが追加・変更される。
「宵宮」「(※神輿)渡御」「大祭中日(※暦による)」「例大祭」と各日の行事なども書き入れられる。
御朱印帳
愛宕神社の御朱印帳。
初穂料1,300円。
出世の石段がデザインされている。
芝・愛宕神社の地図
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