正一位岩走神社
概要
平安時代末期、信濃國伊那郡から移住した住民が信濃國総鎮守・戸隠神社の手力男命を勧請し創建された。
9月の例祭はあきる野三大まつりのひとつに数えられる。
御祭神 | 稚日女尊 相殿 手力男命・棚機姫命(栲幡千千姫命) |
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社格 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都あきる野市伊奈1575 |
最寄駅 | JR五日市線 武蔵増戸駅・武蔵五日市駅 西東京バス 伊奈停留所 るのバス(あきる野市循環バス) 横沢停留所 |
URL | http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/nishitama/akiruno/3270 |
御由緒
平安時代末期の1152(仁平2)年7月、信濃國伊那郡から12名が当地に移住し一村を開き、信濃國総鎮守・戸隠神社奥社の手力男命を勧請した。
後に数年を経て稚日女尊と棚機姫命が配祀された。
12名のうち、宮澤左京藤原季周が祇官となり、以後代々宮澤家が社家として奉仕している。
宮澤家は、近代女流歌人・三ヶ島葭子の生母・さわの実家でもある。
古くは岩上または岩三大明神、のちに岩走大明神と称されていたが、光格天皇の御代1794(寛政6)年、藤原豊前守宮沢安通が天皇の書の師として京都に招かれ、正一位の神階を勅許されたことにより、正一位岩走神社と改称した。
「岩走」とは、しぶきを上げて岩の上を激しく流れる秋川の様子を指す、とされる。
社殿は1672(寛文12)年に再建後、1899(明治32)年に造替、1966(昭和41)年に屋根を銅板葺に改修している。
当社の例祭は阿伎留神社の「五日市まつり」、二宮神社の「生姜まつり」とともにあきる野三大まつりとされている。
境内紹介
徒歩であれば武蔵増戸駅からが最短。
五日市街道へ出て、新秋川橋東交差点から秋川の北岸を通る旧街道へ向かう。
武蔵五日市駅からも五日市街道経由で、五日市橋交差点から旧街道に入るルート。
武蔵五日市駅や秋川駅発のバス利用だと、神社から300mほど離れた場所に停留所がある。
なお、住所表記について、あきる野市公式サイトや東京都神社庁の紹介ページは、いずれも伊奈1575番地と表記している。
Googleマップや個人ブログ等では1573番地とするものが多いが、これはおそらく隣接する宮司邸の番地だろう。
境内は整然としており、西側が特に広く確保されている。
例祭時、宮入りの際にはここが神輿や山車と人で溢れるのだ。
境内社
拝殿脇に境内社五社の合殿。
疱瘡神社(伊弉諾尊・伊弉册尊)・熊野神社(伊弉諾尊・伊弉册尊)・八雲神社(素盞鳴尊)・稲荷神社(倉稲魂命)・琴平神社(崇神天皇・大物主命)が祀られている。
また、本殿覆屋の脇には稲荷神社三社が、こちらも合殿で祀られている。
御朱印
正一位岩走神社の御朱印は隣接する宮司邸にて受けられる。
敷地入り口が社頭から少し離れているので注意。
初穂料300円。
正一位岩走神社の地図
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