八幡八雲神社
御祭神 | 誉田別尊・素盞鳴尊 |
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社格 | 旧郷社 |
鎮座地 | 東京都八王子市元横山町2-15-27 |
最寄駅 | 京王電鉄京王線 京王八王子駅 JR中央線・横浜線・八高線 八王子駅 |
URL | http://www.hachiman-yakumo.or.jp/ |
御由緒
八幡八雲神社は、ともに平安時代に創建された八幡神社と八雲神社が、江戸時代に合祀された神社である。
八幡神社御由緒
924(延長2)年、武蔵国司であった従四位武蔵守小野隆泰が、京都・石清水八幡宮を邸内に勧請したのを創祀とする。
940(天慶3)年、隆泰の長子・小野義孝は武蔵権守として赴任し社殿を再建、横山庄の総鎮守とした。
義孝はのちに横山姓を称し、当地を本拠として勢力を拡大した横山氏一族は、武蔵国の武士団・武蔵七党系図の筆頭とされている。
八雲神社御由緒
916(延喜16)年、大伴妙行(華厳菩薩妙行)が、深沢山を天王峰、周囲の8つの峰を八王峰として、牛頭天王と八王子権現を奉斎したのを創祀とする。
のちに北条氏照は深沢山に築城した際、八王子を城名とし同城の鎮護として崇敬した。
なお、地名「八王子」はこの城名に由来するといわれる。
1590(天正18)年6月、八王子城は豊臣方に攻められ落城するが、城兵が御神体を奉戴し、川口村黒沢の地に逃れ奉安した。
1598(慶長3)年6月12日夜、大洪水によって御神体が流失、八王子新町の板谷ヶ淵に漂着する。
6月13日未明、暗夜に御光を放ち現れた御神体を五兵衛という百姓が発見し、自宅土間の臼上に遷した。
五兵衛は初穂の小麦を煎って供物とし、日夜神慮を崇めていたところ託宣を受ける。
そこで長田作左衛門の助力を受け、1653(承応2)年6月13日に八幡神社へ奉遷した。
合祀以後
元横山村・新町・横山宿・馬乗宿・八日市宿・寺町・横町・本宿の鎮守となり、真言宗智山派の寺院・龍華山大義寺(現・元横山町2-8-4)が別当を務めた。
1897(明治30)年4月22日に起きた八王子大火により社殿が焼失し、1913(大正2)年に再建している。
1945(昭和20)年8月2日の八王子大空襲により再び社殿が焼失する。
1947(昭和22)年に仮殿にて復興し、1961(昭和36)年7月22日に現社殿が造営された。
JR八王子駅北口からは西放射線ユーロード商店街(北西に向かう斜め通り)へ。
野猿街道と交差するところで右折し、横山町郵便局前で甲州街道を横断、そのまま130mほど直進する。
京王八王子駅からであれば、甲州街道へ出て西に向かい、横山町郵便局前で右折するのがわかりやすいだろう。
大鳥居の袂にある社号標には、埋められてはいるものの「郷社」の文字が読み取れる。
鳥居からまっすぐ拝殿まで続く参道には、三対の狛犬がご鎮座。
1921(大正10)年奉納の獅子山、1909(明治42)年11月奉納の狛犬、そして拝殿前には1984(昭和59)年6月に奉納された中国獅子。
ちなみに中国獅子の奉納者「肉の山本」は、当社西側にあるステーキ・すき焼き・しゃぶしゃぶ・焼肉など肉料理の人気店だ。
祇園守紋と巴紋、二つの神紋がそれぞれに掲げられた千鳥破風が並ぶ、非常に特徴的な拝殿。
二柱の御祭神を同格に祀っている表れだ。
一方、社殿の後方は駐車場となっているため、大きな本殿の全景を拝観できる。
隣接するマンションや、脇に止められた自転車との比較で本殿の規模感がおわかりになるはず。
境内社は6社。神楽殿脇に祀られているのは横山神社。
当社を創建し、横山氏の祖となった横山(小野)義孝公を祭神とする。
横山党は1213(建暦3)年に起きた和田合戦(和田義盛の乱)で和田勢に付き敗北・衰退し、代わって大江広元が横山庄を所領とした。
大江広元は1214(建保2)年、横山義孝の御霊を鎮める目的でこの神社を創建した。
一方、境内東側の鉄柵に囲われた一角には5社が祀られている。
向かって右手より江島神社(市杵島姫命)・厳島神社(市杵島姫命)・永寿稲荷神社(倉稲魂神)・恵比須大国社(事代主命・大己貴命)・赤星稲荷神社(倉稲魂神)。
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