久が原東部八幡神社
御祭神:誉田別命
社格:旧村社
所在地:東京都大田区久が原2-18-4
最寄駅:東急電鉄池上線 久が原駅
URL:http://tokumochi-jinja.tokyo-jinjacho.or.jp/keidai00.html
御由緒:社記によれば奈良時代の765(天平神護元)年9月、豊前国・宇佐神宮より御分霊を勧請、久が原台地の一番の高所に奉斎し創建された。
徳川家康が江戸入府した1590(天正18)年、旧久ヶ原村が東の馬込領と西の六郷領に分村されるにいたり、村民らは両村を向・原と呼び分けた。
当社は馬込領久ヶ原村(向・むかい)の鎮守とされ、別当は本光寺(久が原2-19-17)が担った。
六郷領の鎮守は現在の久が原西部八幡神社である。
現在の内本殿は1845(弘化元)年、拝殿は1862(文久2)年の造営とされている。
明治維新後の1872(明治5)年に両村は再び統一され、1873(明治6)年、東西両社とも村社に列せられている。
1974(昭和49)年、社殿が大田区の有形文化財に指定された。
久が原駅から東方へ約1.1kmの住宅街に鎮座している。
当社西側に位置する久原小学校内からは氷河期末期・旧石器時代の遺跡が出土している。
また、近隣からも住居跡や貝塚、石器・土器が多数発見されており、有史以前から人の居住があった地域。
その名が当社に由来する、社前の「宮坂」下には区立久が原図書館もあるので、ご興味があれば立ち寄って歴史に触れてみるのもいいだろう。
当社は徳持神社が兼務し神職の常駐はない。
しかし、御神田なども整備された境内の状態から、氏子の方々による日頃の崇敬の篤さ、御奉仕の様子が伝わる。
社殿は入母屋造・向唐破風向拝付の欅造り拝殿、両下造の幣殿、切妻造の本殿で構成される。
向拝部分の装飾彫刻、蓑甲の破風口の深い曲げなどに、江戸末期の神社建築の特色が見られる。
屋根はかつて茅葺きであったが、1977(昭和52)年に銅板に葺き替えられている。
末社は稲荷神社(宇迦之魂命)が一社。
由緒は不明だが、古くから境内に祀られている。
久が原東部八幡神社 御朱印。初穂料300円。
当社は通常無人。本務社の徳持神社で御朱印の授与をされている。
なお当社の北西約300mの場所に、分離した久が原西部八幡神社が鎮座する。
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