田無神社

2014年5月28日

概要

鎌倉時代の正応年間、もしくは建長年間の創建と伝えられ、かつては尉殿大権現と称された。
神職や巫子の装束をデザインした御朱印帳が人気を呼んでいる。

御祭神 大国主命・級長津彦命・級長戸辺命・須佐之男命・猿田彦命・八街比古命・八街比売命・日本武尊命・大鳥大神・応神天皇
社格 旧村社
鎮座地 東京都西東京市田無町3-7-4
最寄駅 西武鉄道新宿線 田無駅
URL http://tanashijinja.or.jp/

御由緒

正応年間(1288~1292年)、もしくは建長年間(1249~1256年)の創建と伝えられる。
元は田無谷戸の宮山に鎮座し、尉殿大権現と称された。
尉殿大権現(級津彦命・級長戸辺命)は命の根源となる水、そして風を司り除災の守護神とされ、現本殿には金龍神として祀られている。
その後村が二分され上保谷側に鎮守社がなくなったことから、1622(元和8)年に上保谷村の尉殿神社に分祀された。
1646(正保3)年に宮山鎮座の本宮から現在地に分祀したが、1670(寛文10)年に本宮自体も当地へ遷座した。
1872(明治5)年に近隣の熊野神社、八幡神社を合祀し、社号を田無神社と改称し村社に列せられている。
その際に、主祭神・大国主命と須佐之男命、猿田彦命、八街比古命、八街比売命、日本武尊命、大鳥大神、応神天皇を奉斎した。

境内紹介


田無駅の北口を出て、線路沿いを東に進む。
高架下をくぐる都道12号線にぶつかったら左折して北進。
やがて総持寺・田無神社交差点にたどり着くので、今度は右折して旧青梅街道の坂を下るとすぐそこ。
境内に入ると景色は一変し、樹木が生い繁る鎮守の森となる。


田無神社は五色の龍が住まう社を称しており、本殿を中心に東西南北を龍神が守護する。
正面参道石段の右手には夏を象徴する南方並びに火の守護神、赤龍社。
そこから少し参道を進むと左手に秋を象徴する西方並びに金属の守護神、白龍社。

白龍社の裏手にひっそりと鎮座する賀陽家屋敷稲荷社。
田無神社初代宮司・賀陽濟氏が祀った邸内社である。


参道のこの一帯には、1935(昭和10年)造の参集殿(国指定登録有形文化財)、道祖神像、地下水を汲み上げている手水「白龍の水」などがある。
田無地区は水に恵まれなかったため、玉川上水から田無用水が引かれ、その流れは石神井川に注いだ。
現在は暗渠化されたが、用水は今もこの神社の地下を流れている。

拝殿付近には四方の龍神を祀る銀杏、御神木がそびえ立つ。



神龍の壮麗な彫刻が施された社殿は1875(明治8)年造営。
本殿内には土用を象徴する中央並びに大地・豊穣の守護神の金龍が祀られている。
拝殿脇には末社・少彦名神社の小祠。


社殿右手には神輿庫の他、昭和の名横綱、大鵬が奉納した土俵や銘大鵬石碑がある。
故大鵬氏はこの神社の崇敬会会長だった。
そのそばには春を象徴する東方並びに樹木・風の守護神、青龍社。そして楠木正成の石像も。



銘大鵬石碑の後方に鹽竈神社(塩土老翁命)、煩大人神社(煩大人命)、野分初稲荷神社(宇迦御魂命)、恵比寿大黒社が並ぶ。
野分初稲荷神社の裏には稲荷社跡の祠。
今は稲荷社跡に神を祀っていないとのことだが、いまだ神気が放たれているように感じるのは気のせいか。
恵比寿大黒社では木魚を打って参拝する。

冬を象徴する北方並びに水・雨の守護神、黒龍社は、少彦名神社から北へ抜ける裏参道の奥に鎮座する。

社殿の左手、舞殿の周囲にも境内社の津島神社(素戔嗚命)と弁天社が鎮座している。
弁天社は宗像三女神ではなく、須佐之男命の娘・須勢理比売を祀る。

津島神社脇には子育て犬、親子石。

龍神を祀る神社に参拝したいと考えていたのだが、由緒など下調べせずに伺ったここに五龍神が鎮座していた。
気になると参拝の機会が到来するという不思議が、神社を巡っていると度々起こる。

御朱印・御朱印帳

御朱印

田無神社の御朱印は境内右手の授与所にてお願いできる。
初穂料300円。
田無神社の御朱印帳を拝受した場合は最初の頁に墨書き、その他御朱印帳を持ち込みの場合はスタンプとなるようである。

夏詣

2017(平成29)年より夏詣に賛同したため、期間中夏詣印が捺されている。

以前の御朱印

2015(平成27)年から印影、墨書きの配置などが変更された。

御朱印帳

田無神社の御朱印帳は初穂料1,600円。
巫女(緋袴)・神主(浅葱・紫)の三種類ある。
アップ画像は神職身分二級の袴の色となる紫。浅葱色は三級。

田無神社の地図