嶺天祖神社
概要
江戸時代前期の寛文10年頃、嶺村の村民数人が伊勢神宮へ参拝後、御分霊を祀った神社。
毎年4月21日の例祭では、都内では当社のみとなった「禰宜舞」が奉納される。
御祭神 | 天照大御神 |
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社格 | 旧無格社 |
鎮座地 | 大田区西嶺町4-10 |
最寄駅 | 東急電鉄池上線 御嶽山駅 東急電鉄多摩川線 沼部駅 |
URL | — |
御由緒
1670(寛文10)年頃、嶺村の村民数人が伊勢神宮へ参拝し、拝受した御分霊を奉斎し創建された。
昭和初期、東調布第一小学校々舎の一部を建て替えた際、古材を譲り受け境内に嶺町公会堂が建設され、社務所や町会事務所を併設していた。
戦時中にはこの公会堂内に旧大森区役所嶺町出張所が設置され、第二庁舎が新築されるまで、ここで公務が行われていたという。
1972(昭和47)年、都道環状八号線敷設に伴い、社地の半分強が接収された。
1973(昭和48)年、その補償金によって本殿・鳥居・社務所を造営、参道・玉垣などの境内整備が行われた。
舞手は多摩川を挟んだ川崎市にある白旗八幡神社の神職で、豊作と厄払いの神楽を、面と衣装を変えながら一人で5座を舞う。締太鼓の調べだけで舞うため地元では「デデンコ舞」とも呼ばれている。昭和初期ごろまでは、多摩川両岸の神社など約20ヶ所で舞っていたと言うが、戦後、東京側では天祖神社だけに残った。天祖神社の創建は江戸時代の初期と伝えられ、記録によれば、禰宜の舞は少なくとも江戸後期から奉納されているようだ。
境内紹介
池上線の御嶽山駅から環八に出て、西嶺町交差点を目指す。
この交差点の50m弱北側、環八に路面して鎮座している。
御嶽山駅からの距離は4~500mといったところ。
外見上は境内社も祀られておらず、神明造の社殿があるだけの小社だが、他社に見られない特色を持つ。
それが毎年4月21日の例祭で奉納される「禰宜舞」だ。
禰宜舞は江戸時代中期から続いている伝統的な神楽で、昭和初期までは多摩川河畔の神社を中心に約20か所で行われていた。
現在都内では当社のみで舞われている。
川崎市・白旗八幡神社の神職が、素面による四方祓の舞の後、面と衣裳を替えながら五座の神々(猿田彦命・天鈿女命・天児屋根命・彦火火出見命・大山祇命)の舞を行う。
禰宜舞は一子相伝にて伝えられているという。
御朱印
境内に社務所があるが、こちらでの御朱印の授与対応はない。
本務社である北嶺町の御嶽神社社務所にて受けられる。
初穂料300円。
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