六郷神社
御祭神:誉陀和気命
社格:旧郷社・延喜式内社(論社)
URL:http://www.rokugo.or.jp/
所在地:東京都大田区東六郷3-10-18
最寄駅:京浜急行電鉄本線 六郷土手駅
御由緒:1057(天喜5)年、源頼義・義家父子が、当地の大杉に源氏の白旗を掲げて軍勢をつのり、石清水八幡宮に武運長久を祈願した後、 前九年の役に勝利を収め、凱旋後その御分霊を勧請したのが創建と伝えられている。
「延喜式内薭田神社」は、大田区蒲田の薭田神社・南久が原の鵜ノ木八幡神社・港区三田の御田八幡神社も式内論社となっている。
1189(文治5)年には奥州藤原氏討伐の際、源頼朝も祖先の吉例に倣い白旗を立て戦勝祈願し、1191(建久2)年梶原景時に命じ社殿を造営させた。
現在、社宝となっている雌獅子頭と境内に残る浄水石はこのとき頼朝が奉献し、神門前の太鼓橋は景時が寄進したものという。
ちなみにかつては神社の周囲に構え堀も巡らされていた。
1591(天正19)年、その前年江戸に入府した徳川家康が、神領として十八石を寄進する朱印状を発給した。
1600(慶長5)年には近傍を流れる六郷川に六郷大橋の架橋を命じ、工事の竣功を祈って願文を奉り、また当社の神輿をもって渡初式を行ったと伝わる。
家康の崇敬は篤く鷹狩りの折にも度々参詣していたといい、当社が八幡宮の巴紋と併せて葵紋を用いている由縁となっている。
江戸時代には「六郷八幡宮」とも称され、東海道を隔てた西側の宝朱院(御幡山建長寺)が別当寺であったが、明治維新後の神仏分離令により廃止された。
また当社は元来八幡三神(誉田別尊・神功皇后・比売大神)を奉斎していたが、あるときの曳船祭で一座の神輿が上総国に流されてしまい、もう一座の神輿は大変な荒神であり、しばしば祟りがあったため土中に埋めてしまったとの記録が残されている。
1719(享保4)年造営の本殿は三神を祀る様式になっていることから、この故事はそれ以後に起こったものと推測されている。
1872(明治5)年に郷社に列格し、1876(明治9)年には六郷神社と改称した。
社殿は1987(昭和62)年の鎮座930年を期に建て替えられたが、本殿は前述した享保4年造のものが改修された。
京急本線の六郷土手駅が最寄りだが雑色駅でも距離はさほど変わらない。
いずれの駅からも、一度第一京浜(国道15号線)に出る。
六郷土手からであれば東京方向、雑色駅からは川崎方向へしばらく進み、歩道橋の脇で海側へ伸びる路地に入る。
100m超進んだ先に社頭がある。神門手前には梶原景時が寄進したとされる太鼓橋。
神門を潜ると、その先まっすぐに社殿が。付近には目障りな高層建築もなく、実に爽快な景観である。
境内社は四社。
稲荷神社(宇迦御魂命)と、氷川神社(素盞鳴尊)・天祖神社(天照大神)・三柱神社(日本武尊・大物主命・布津主命・天太玉命・天児屋根命)の合祀殿。
拝殿に向かって左手の中庭にはユニークで原始的な風貌の狛犬が置かれている。
1685(貞享2)年造で、区内最古の狛犬として大田区指定文化財となっている。
また境内社近くには、六郷橋が1874(明治7)年に架けられた際の橋脚(親柱)が保存されている。
その他、旧御神木の切り株、御獄講などの石碑群も。
六郷神社 御朱印。初穂料300円。境内右手の社務所にて受けられる。
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