千束八幡神社(洗足池八幡宮)

2014年9月13日


御祭神:品陀和気之命(応神天皇)
社格:旧村社
URL:http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/11_ota/11087.html
所在地:東京都大田区南千束2-23-10
最寄駅:東急電鉄池上線 洗足池駅
東急大井町線 大岡山駅
御由緒:860(貞観2)年、宇佐八幡宮を勧請し、旧千束郷の総鎮守として創建された。
935(承平5)年、平将門の乱が起きた際、朝廷より鎮守副将軍として派遣された藤原忠方は、乱の平定後に洗足池畔に屋敷を構え定住し、当社を氏神として尊崇したという。
この屋敷が池の上手にあったことから池上氏を称し、彼の九代目の子孫が日蓮を身延から招請した池上康光だと言われている。
また、八幡太郎義家が奥羽討伐に向かう際、洗足池池で禊を行い、戦勝祈願したとも伝わる。
1180(治承4)年、石橋山の合戦に敗れて安房国に逃れた源頼朝は、千葉常胤・上総介広常ら平氏方目代に圧迫されていた豪族の参集を得て再挙し鎌倉へ向かう。
その道中、千束池八幡丸の丘を本陣として合流するのを待った。
明るく照り輝く月が池水に映る夜に、頼朝の陣所に向かってどこからともなく一頭の野生馬が現れ、軍勢の武士達がこれを捕え頼朝に献じた。
逞しい青毛に白い斑点が浮かぶその馬体は池に映る月影の様であったため、「池月」と命名して頼朝自らの料馬とした。
頼朝はこれより先に磨墨(するすみ・こちらも名馬とされた)も所有しており、池月も得たのは平氏討伐が成就する吉兆とされ、軍勢は征旗を高く掲げ、大いに湧き闘志を奮い立たせたという。
当社の「旗上げ八幡」という呼称はこの故事による。


池上線洗足池駅が最寄り。
駅を出ると、目の前を通る中原街道の向こうに洗足池公園が広がる。
中原街道を横断し、左手から公園内へ進むとやがて池畔に建つ朱塗りの両部鳥居が見えてくる。

社地の北側には名馬・池月の銅像。


拝殿前に1837(天保8)年造の狛犬が一対。
社殿は宮大工・吉野直吉氏によって1942(昭和17)年に造営された。

境内末社は二社。神明社と稲荷社。
神明社には天照皇大神のほか、三峯神社(伊邪那美命)・大山阿夫利神社(大山津見命)・道祖神(猿田彦命)・天神(菅原道真)が合祀されている。



一旦境内を出て、池の畔をさらに奥へ進むと弁天島が。
鎮座するのはもちろん弁財天、摂社・厳島神社(市杵島姫命)である。
この島と社殿の佇まいがとても美しく、思わず何枚も撮影してしまう。

千束八幡神社(洗足池八幡宮)と厳島神社(洗足池弁財天)の御朱印。
初穂料各300円。
社殿左手奥の社務所にて受けられる。
千束八幡神社、ではなく洗足池八幡宮と記されている拘りに、趣を感じてしまう。
厳島神社(洗足池弁財天)の御朱印については、神璽などは八幡神社と同様で墨書きのみ変わる。

こちらは2014(平成26)年に拝受した御朱印。
当時は「城南の名勝」の添え書きがなかった。