東玉川神社

2015年10月15日


御祭神:建御名方命・大山咋尊
社格:旧無格社
URL:http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/12_setagaya/12015.html
所在地:東京都世田谷区東玉川1-32-9
最寄駅:東急目黒線 奥沢駅
東急電鉄池上線 石川台駅・雪が谷大塚駅
東急東横線 田園調布駅
御由緒:当地一帯は旧等々力村諏訪分(大平分)という小さな集落だった。
地名は当地に鎮座していた諏訪社に由来し、別当は西光寺(廃寺)であったとされる。
1889年(明治22)年に等々力、用賀、瀬田、上野毛、下野毛、野良田、奥沢、尾山の各村が合併し玉川村となる。
1906(明治39)年に旧内務省神社局の主導により一村一社とする神社整理政策が始まり、1909(明治42)年に諏訪社は熊野神社(現・玉川神社)に合祀された。
その後、江戸時代には極小集落だった当地も人口が増加、1932(昭和7)年の世田谷区発足に伴い、玉川村から独立し東玉川町となる中で、諏訪社再興の動きが起こり、旧諏訪社の社地が確保された。
さらに、前年に社殿を造替した渋谷氷川神社から1939(昭和14)年に拝殿、翌1940(昭和15)年に本殿を譲り受け移築する運びとなった。
東京府庁と協議の上、1941(昭和16)年野毛に鎮座していた日枝神社を遷座する形で許可を得て、社号を「東玉川神社」として再建された。
なおこの日枝神社は、大阪夏の陣などで活躍した江戸幕府大老・井伊直孝が、寛永年間(1624~1645年)に旧近江国日吉大社より勧請したとする説がある。


付近には4つの駅があり、いずれも約1km圏内。
わかりやすいのは、奥沢駅か雪が谷大塚駅から自由通りをたどるルートだろう。
ちなみに、自由通りは多摩川に並行して走る龍脈のひとつであるといわれる。


境内の南東側奥にそびえる二本の松が御神木。樹齢は約300年だそうだ。
社殿は寛永年間(1624~1645年)に築造されたとみられ、世田谷区登録有形文化財となっている。
1999(平成11)年には屋根などの改修も行われ、貴重な江戸初期の神社建築を今に伝えている。
向拝部では、萬遷によって1845(弘化2)年に水墨で描かれた火焔龍神像(正面座臥)の天井板画が拝観できる。
参道入口付近の世田谷区教育委員会による説明文には「あたりを祓う高位尊厳と龍気のすさまじさが火焔となって立ち昇り、邪悪を祓う御姿を表現」とある。
もし移築されていなければ、廃棄もしくは空襲で焼失していた可能性もあったわけで、現存に至った経緯には不思議なものを感じる。

境内社は二社。社殿右手に稲荷神社。
境内北側にも参道があり、その脇に御嶽神社。庚申供養塔も並んでいる。

東玉川神社 御朱印。初穂料300円。境内右手の社務所にて拝受可能。
御年88歳という宮司様が社殿について等いろいろとご説明くださった。