袖ヶ崎神社

2016年1月27日

袖ヶ崎神社
御祭神:豊受比賣神・天照皇大神・誉田別尊
配祀神:菅原道真命・武甕槌命・経津主命・塩槌翁命・市杵島姫命
社格:旧無格社
※しながわ観光協会のページ
所在地:東京都品川区東五反田3-6-20
最寄駅:都営地下鉄浅草線 高輪台駅
URL:http://www.sinakan.jp/entry-info.html?id=34908
御由緒:平安時代の1137(保延3)年2月、京都稲荷山・伏見稲荷が勧請・奉斎し創建されたと伝わる。
袖ヶ崎(現・東五反田3・4丁目の一部)の鎮守で、忍田稲荷大明神(しのだいなり)と称されていた。
1344(康永3)年、越前国丹生郡小川村の鎮守八幡宮神主・山口直奇の次男直正が東国へ下向し、当社の神主となった。
以来、現在まで22代にわたり宮司家としての奉仕が続いている。
直正の就任時、山口家累代の守護神であった神明宮を社の南方へ奉斎し、地名をもって袖ヶ崎神明宮と奉称されるようになり、八幡宮も祀られた。
江戸時代には古蹟社と称され寺社奉行による直支配が行われた。
三代将軍・徳川家光をはじめ、伊達家・細川豊前守等多数諸侯の崇敬があり、細川豊前守によって金箔塗の神狐1対が奉納された記録も残る。
元禄年中(1688~1704年)には天満宮が、正徳年中(1711~1715年)に塩竃大神が合祀され、厳島大神は東都歳時記に云う御府内弁財天百社番外の4番に数えられたという。
江戸時代以降、現在まで4度火災で被災しており、1745(延享2)年の被災時には伊達家が社殿を寄進している。
明治維新の際、袖ヶ崎神社と改称された。
1945(昭和20)年5月の空襲では、1849(嘉永2)年造であった土蔵造りの社殿はじめ社務所・末社等全てを焼失し、名工・伊豆長八作の鏝絵「八岐の大蛇」も失われている。
戦後の1957(昭和32)年、氏子諸氏の奉賛により仮社殿が再建され、1967(昭和42)年6月の中原街道拡幅に伴い、社殿の造営や境内整備が行われた。
袖ヶ崎神社 鳥居袖ヶ崎神社 手水盤
袖ヶ崎神社 拝殿袖ヶ崎神社 本殿
高輪台駅A1出口から国道1号線・中原街道を、五反田駅方向へ約200mほど進んだ先に鎮座している。
(ここからさらに300m弱進むと本務社の雉子神社に至る。)
小さな社地と社殿だが、江戸時代には諸藩の下屋敷が多く在った土地柄か、神宮の二柱のほか八幡・塩竈・鹿島・香取、そして古くより多く祀られていた天神・弁天の諸神が合祀されている。
創建時に祀られていた忍田稲荷大明神については、1908(明治41)年9月に桐ヶ谷氷川神社の末社として勧請されている。
袖ヶ崎神社 神楽殿袖ヶ崎神社末社 祖霊社・直正神社
神楽殿と末社祖霊社・直正神社の合殿。神社祭祀に功のあった山口直正命が奉斎されている。

注:袖ヶ崎神社は通常無人で御朱印対応はなし。
本務社の雉子神社でも授与は行われていない。