花園神社

2014年9月29日


御祭神:倉稲魂命・日本武尊・受持神
社格:旧村社
URL:http://www.hanazono-jinja.or.jp/
所在地:東京都新宿区新宿5-17-3
最寄駅:東京メトロ丸の内線・副都心線 新宿三丁目駅
都営地下鉄新宿線 新宿三丁目駅
JR中央・総武線・山手線・埼京線・JR湘南新宿ライン 新宿駅
小田急小田原線 新宿駅
京王電鉄京王線・京王新線 新宿駅
御由緒:詳しい創建時期は不詳だが、徳川家康が関東に移封された1590(天正18)年以前に、大和吉野山より勧請・創建されていたとされ、江戸幕府成立前から当地一帯の総鎮守であった。
寛永年代(1624~1644年)までは現在地より約250メートル南方(伊勢丹新宿店付近)に鎮座していた。
寛政年代(1789~1801年)に旗本・朝倉筑後守がこの周辺に下屋敷を拝領、社地は下屋敷内に囲い込まれてしまったという。(※なお、正確にはこの時期の筑後守は朝倉氏ではなく、社伝に何らかの誤りが有る模様)
このため幕府に請願し現在地を拝領することとなった。
遷座先の社地は、徳川御三家筆頭・尾張藩下屋敷庭の一部で多くの花が咲き誇る美しい花園の跡であったとされ、これが由来となり花園稲荷神社と称された。
江戸時代には別称も多く、三光院稲荷、地名に因んだ四谷追分稲荷、または単に稲荷神社等とも呼ばれていたようである。
三光院稲荷と呼ばれたのは、別当寺の真言宗豊山派愛染院の別院である三光院からであるが、神仏分離令発布後、三光院は廃絶となっている。
明治に入り「村社稲荷神社」が正式名称とされるが、神名帳を提出した際、誤って花園の文字を書き漏らし「稲荷神社」で届出をしてしまったためで、1916(大正5)年に東京府知事に対し社号改称を出願し「花園稲荷神社」と改められた。
1928(昭和3)年、新宿4丁目に鎮座していた雷電稲荷神社を合祀、郷社に昇格している。
1965(昭和40)年、現在のコンクリート造の社殿が再造営され、その際に末社・大鳥神社を本殿に合祀し、社号を「花園神社」に改称した。

新宿三丁目駅E2出口から出ると、左隣が表参道の入口である。
大きな朱塗りの鳥居がお出迎え。
参道入口付近右手の大樹(植物に疎いので樹種不明)の根の張り具合や幹のねじれに、不思議なものを感じる。
他のメディアを調べても全く取り上げられていないようなのだが、どうしてだろうか。


参道は明治通り側の表参道、靖国通り側の南参道の他、社殿左脇を通り抜けゴールデン街側へ至る道もある。



鮮やかな朱に統一された境内の各施設が立ち並ぶ表参道を進み、拝殿へ。
副都心・新宿の主要な地域を氏子に抱えていることもあり、休日には参拝者が絶え間なく訪れる。


花園神社の境内社は二社。境内中央に鎮座する威徳稲荷神社。
御神徳が男女和合で女性に人気とあり、なぜ?と思ったら扁額の裏にその答えが。
それはさておき、このお稲荷さまは本当は主祭神なのではないかと思うほど、強い気が漲っているように思う。



境内右手端には芸能浅間神社。祭神はもちろん木花之佐久夜毘売。
瑞垣に記される奉納者名には芸能関係者が並び、見聞きしたことのある名前もチラホラと。
宇多田ヒカルの母親で新宿には縁が深かった故・藤圭子の歌碑も安置されている。
富士塚(新宿富士)はかなりの規模で境内南側に築造されていたが、1967(昭和42)年に現在地へ移築された。

花園神社 御朱印帳。
初穂料1,300円で初回の御朱印分込み。
深紅の節紬地に金で箔押しされた御神紋が美しい。

花園神社 御朱印。初穂料300円。社殿右手の授与所にて受けられる。

なお、御祭神の日本武尊(大鳥神社)にちなみ花園神社では酉の市が開催される。
浅草鷲神社大國魂神社とともに関東三大酉の市のひとつに数えられる規模であり、開催日の御朱印にも墨書きが加わる。