多田神社

2016年3月20日

多田神社
御祭神:贈正一位・鎮守府将軍 多田満仲公
社格:旧村社
URL:http://tadajinja.tokyo/
所在地:東京都中野区南台3-43-1
最寄駅:東京メトロ丸ノ内線 方南町駅
御由緒:社伝等では源頼義・義家父子が奥羽平定の帰途、戦勝の報賽として大宮八幡宮に神鏡を献じ、当地に満仲公を祀って以来、旧雑色村の鎮守社として崇敬されてきたと伝えられている。
しかし、植田孟縉によって江戸時代後期の文政年間(1818年~1830年)に編纂された旧多磨郡の地誌「武蔵名勝図会」には当社について、戦国時代の永禄年間(1558~1570年)、多田和泉守の子孫である多田某が当地に居住し、祖神である多田権現を勧請したとある。
同誌には当地の旧地名「雑色村」について、大宮八幡宮造建の時に神供の雑色料の地があり、これが由来と触れている。
また、植田孟縉が編纂に関わった新編武蔵風土記稿には「多田権現稲荷合社」とあり、鎮座の年代が不明であること、近隣の氷川神明合社と隔年で祭りを行っていたことなどが記されている。
御祭神の多田満仲(源満仲)公は、第56代清和天皇の御曽孫で、清和源氏の2代目、多田源氏の祖である。
(多田源氏は摂津源氏と同義に扱われる場合もある)
武蔵権守や左馬権頭・治部大輔の職を経て鎮守府将軍となった人物で、長子・頼光は摂津源氏の祖、三男・頼信は武家源氏の主流である河内源氏の祖となった。
満仲公が多田源氏を名乗ったのは、住吉大社の神託に従って射た矢が落ちた多田(現・兵庫県川西市多田)の地に居城を構えたことによるといわれている。
また、この時矢を見つけた家臣に与えた三ツ矢の姓と三本の矢羽根の家紋は、飲料の商標「三ツ矢サイダー」の由来につながっている。
参考:三ツ矢豆知識
居城・新田城の跡地近くには、満仲公の廟所・清和源氏の廟所である多田神社(旧多田院・兵庫県川西市多田院多田所町1-1)が鎮座している。
1597(慶長2)年に社殿の再建が行われたほか、文政年間に修繕が図られた。
1879(明治12)年7月、村社に定められたのち、1881(明治14)年に本殿拝殿の改築がなされた。
多田神社 鳥居と社号標多田神社 手水舎
多田神社 二の鳥居多田神社 神楽殿
最寄駅は方南町駅。2番出口から方南通りをを右に向かう。
島忠中野本店の裏手で神田川を渡り、住宅街を150m弱進んだ先で社頭にいたる。
多田神社 狛犬 (1)多田神社 狛犬 (2)
多田神社 拝殿多田神社 本殿
拝殿前の狛犬は阿形が子抱き。1881(明治14)年奉納。
現社殿は、1960(昭和35)年に改築されたもの。
多田神社 多田稲荷神社 (1)多田神社 多田稲荷神社 (2)
境内社は4社。社殿右脇で鬼門を鎮護するのは多田稲荷神社(宇迦之御魂大神・保食命)。
多田神社 榛名神社・御嶽神社・阿夫利神社 鳥居多田神社 榛名神社・御嶽神社・阿夫利神社 覆屋
榛名神社(火産霊神・埴山毘売命)、御嶽神社(櫛真知命・大己貴命・少彦名命)、阿夫利神社(大山祇命)は合殿に鎮まる。

多田神社 御朱印
多田神社 御朱印。初穂料300円。清和源氏の家紋・笹竜胆があしらわれている。
参道途中左手の社務所にて受けられる。