多武峯内藤神社(とおのみねないとうじんじゃ)

2015年4月21日


御祭神:藤原鎌足公
相殿神:武甕槌命・経津主神・天兒屋根神・姫神・内藤家歴代祖霊
社格:旧無格社
所在地:東京都新宿区内藤町1-8
最寄駅:東京メトロ丸ノ内線 四谷三丁目駅
JR中央・総武線 千駄ヶ谷駅
東京都営地下鉄大江戸線 国立競技場駅
URL:—
御由緒:元は江戸幕府初期の重臣で関東総奉行・江戸町奉行・老中などを歴任した内藤清成の邸内社であった。
徳川家康江戸移封の折、鉄砲隊を率いて江戸入りの先陣を務めた内藤清成は、1590(天正18)年9月、家康から現・新宿御苑周辺の20万余坪にも及ぶ広大な屋敷地を拝領する。
清成はこの屋敷地内に家祖である藤原鎌足公を祀った内藤神社を創建し、藤原氏の氏神である奈良・春日大社の御分霊を勧請・合祀している。
明治維新後、内藤家屋敷地は明治政府に上納され、内藤新宿試験場の用地となった。
1879(明治12)年に同地は宮内省所管の新宿植物御苑に変更され、1886(明治19)年には御苑内に残されていた当社は現在地へと遷された。
また、武州多武峯神社と称していた社号は、1967(昭和42)年5月に多武峯内藤神社に改称されている。


新宿御苑の東側、外苑西通りとの間に広がる住宅地内に鎮座する。
外苑西通りから御苑側に一本入った細い路地沿いに社号標が立っており、これを見逃さなければ迷うことはないだろう。
参道の石鳥居は1823(文政6)年造。


狭い社地ではあるが社叢が豊かな境内は、町会によると思われる管理が行き届いている雰囲気。
なお、社務所・町会事務所兼用の建物も存在するが、通常は無人のようである。
ちなみに社号の「多武峯」は奈良県桜井市にある山の名称である。
ここには祭神を藤原鎌足公(談山大明神・談山権現)とする談山神社が鎮座しており、当社は談山神社が勧請されたとする説もあるようだ。

境内末社は稲荷神社(主祭神・倉稲魂命)。
相殿神として八幡大菩薩、大国主神(大黒天)、市杵嶋姫命(弁財天)も合わせ祀られている。

境内東側に駿馬舎と駿馬塚(新宿区登録有形文化財)がある。
駿馬塚は徳川家康が内藤清成に領地を与える際の「駿馬伝説」にまつわる碑である。
家康は現在の新宿御苑一帯を示し「馬でひと息に回れるだけの土地を与える」と清成に語ったという。
清成の乗った駿馬は、千駄ヶ谷から代々木・大久保・四谷に至る広大な範囲を走ったが、疲れ果て死んでしまったため、大樫の下に埋葬された。
この後、内藤家が保有していた森林の管理役中家休昌と木下正敷によって、1816(文化13)年8月に樫の古木の跡に塚が造られ、石碑が建立された。
この碑が1872(明治5)年9月に現在地に移されている。
また、駿馬舎には内藤清成の愛馬である白馬の木像が収められている。 

※当社は無人社であるため、御朱印対応は無し。