湯島御霊社

2016年8月9日

湯島御霊社
御祭神:崇道天皇(早良親王)・井上大皇后(井上内親王)・他戸親王・火雷神・橘逸勢・吉備大臣・文室宮田麻呂・藤原大夫人(藤原吉子)※注1
相殿神:輿財恵門稲荷・大己貴神
社格:旧無格社
所在地:東京都文京区湯島2-11-15
最寄駅:JR中央線 御茶ノ水駅
東京メトロ千代田線 湯島駅
東京メトロ銀座線 末広町駅
東京メトロ丸ノ内線 御茶ノ水駅・本郷三丁目駅
都営地下鉄大江戸線 本郷三丁目駅
URL:—
御由緒:国家守護・皇后御産土神・住民擁護の祟社として東叡山大明院(公弁法親王・第5代輪王寺宮※注2)によって、京都・上御霊神社より御分霊が勧請奉斎されたことに始まる。
江戸時代中期の1710(宝永7)年、当地が輪王寺宮の御隠殿用地とされた際、上野より現在地に遷された。
しかし輪王寺宮が薨去したため御隠殿は廃止され、跡地は菜園となり「大根畑」「御花畑」と呼ばれた。
そのまま残された当社は「畑の稲荷」「大根稲荷」「新花稲荷」などと通称され、住民に篤く崇敬されたという。
明治維新後は旧湯島新花町の氏神とされ、御霊八所神社と称していたが、1923(大正12)年に御霊神社と改称している。
1945(昭和20)年、空襲により社殿一切が灰燼に帰したものの戦後仮殿にて再興、1970(昭和45)年に現社殿が再建された。

※注1:各祭神名について
文京区および観光協会による境内掲示の表記と一部異なるが、一般的に用いられる表記を優先している。

※注2:輪王寺宮
「三山管領宮」「東叡大王」とも呼ばれ、一部例外をのぞき原則として上野東叡山寛永寺貫主・日光山輪王寺門跡・比叡山延暦寺天台座主の各山主を兼任した宗教的権威が高い役職。
幕末まで皇子(親王)あるいは天皇の猶子(養子)が就任し継承された。

湯島御霊社 鳥居湯島御霊社 参道
最寄りとして挙げた各駅からいずれも徒歩7~8分の距離。
神田明神湯島天神をつなぐ清水坂から2本西側の坂道沿いに鎮座している。
ちなみに妻戀神社も至近。
さらに本郷・水道橋方面、上野公園付近にもそれぞれ神社が点在し、神社好きには魅力的な地域のひとつである。
湯島御霊社 手水舎湯島御霊社 拝殿
規模は小さく境内施設も社殿と手水舎のみだが、京都御霊神社系統の神社としてはおそらく都内唯一。
(御霊を冠する神社は新宿区内に二社、八王子に一社あるが、前者の御祭神は八幡神系統、後者は鎌倉権五郎景政となっている。)
当社御祭神を崇敬する「御霊信仰」とは、怨霊や亡霊を「御霊(ごりょう=みたま)」として神として祀り鎮めることにより、災厄を免れようとする信仰の形態である。
当時頻発した天災や疫病その他災厄は、怨念を抱いて亡くなったり非業の死を遂げた人物が怨霊となって祟るため発生する、と考えられ畏怖された。
特に政争や皇位争いに巻き込まれ落命した犠牲者の怨念を、争いの勝者である為政者らは畏れ信仰の対象としていったことで、御霊信仰は確立していく。
文献上初めて公式の祭礼が確認できるのは「日本三代実録」に記された、863(貞観5)年に京都・神泉苑で行われた御霊会である。
平安京では疫病の大流行が続き、869(貞観11)年に行われた御霊会では牛頭天王を祀り、これが祇園祭に発展していく。
なお、菅原道真公を祭神とする天神信仰も御霊信仰の一種といえる。

※当社は基本無人。御朱印対応は確認できず。