筑土八幡神社

2014年10月9日


御祭神:応神天皇・神功皇后・仲哀天皇
社格:旧村社
URL:http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/18_shinjuku/18026.html
所在地:東京都新宿区筑土八幡町2-1
最寄駅:JR中央・総武線 飯田橋駅
東京メトロ東西線・有楽町線・南北線 飯田橋駅
都営地下鉄大江戸線 飯田橋駅
御由緒:嵯峨天皇の御代(809〜823年)に武蔵国豊嶋郡牛込の里に大変熱心に八幡神を信仰する翁がいた。
ある時この翁の夢の中に神霊が現われ「我、汝が信心に感じ跡をたれん。」との託宣を受けた。
翁は目を覚ました後、禊のため井戸へ向かうと、傍らに立つ松の樹の上に細長い旗のような美しい雲がたなびいて、雲の中から白鳩が現われて松の梢に留まった。
翁は一連の出来事を里人に語り、注連縄をゆいまわして、その松を祀った。
その後、伝教大師(天台宗の開祖・最澄)が当地を訪れた時、この奇瑞を聞いて、神像を彫刻して祠に奉斎した。
その際に筑紫の宇佐の宮土をもとめて礎としたので、筑土八幡神社と名づけたと伝わる。
(ちなみに八幡神社の総本宮・宇佐神宮の鎮座地は豊前国である。ここでいう「筑紫」とは九州全体を指す古称である「筑紫島」の意であろうか。)
さらにその後、文明年間(1469~1487年)には扇谷上杉氏が社壇を修飾して、当地の産土神・江戸鎮護の神と仰いだとされる。(※社伝では上杉朝興によるとされているが、年代と朝興の生年に整合性がないため、ここでは扇谷上杉氏とする。)
1616(元和2)年には現在のJR飯田橋駅付近に鎮座していた田安明神が、江戸城外堀の拡張により当社隣地へ遷座し「津久戸明神」と呼ばれるようになったが、当社の社号の由来は、実はこの津久戸明神に拠るという説もある。
1945(昭和20)年の戦災で両社の社殿は悉く焼失し、1954(昭和29)年に津久戸明神は九段下の世継稲荷神社敷地へ遷座し、築土神社となっている。
当社は1963(昭和38)年氏子の浄財により再建され、社号がその地名となっている鎮座地の筑土八幡町を始めとした牛込東部(津久戸町・東五軒町・新小川町・下宮比町・揚場町・神楽河岸・神楽坂四〜五丁目・白銀町・袋町・岩戸町)の産土神として人々の尊崇を集めている。


飯田橋駅近く、大久保通りの筑土八幡交差点に参道入口がある。
かつて筑土山と呼ばれた小高い丘の上に鎮座しており、参道は石段になっている。
石段を登る途中には1726(享保11)年に建立された、新宿区内に現存する最古の石鳥居が建っている。(新宿区登録有形文化財)


境内はよく整えられ、御神木である公孫樹の大木の周囲に手水舎の他、百度石や庚申塔、井戸跡などが並ぶ。
庚申塔は1664(寛文4)年奉納。雌雄二匹の猿に桃を配した意匠で全国的にも極めて珍しく、新宿区有形民俗文化財指定となっている。
神輿庫脇に奉納されている酒は伊勢神宮の御料酒・白鷹。
伊勢とご縁が深い灘の銘酒・白鷹がなぜ当社に奉納されているかについて以下のような由来がある。
江戸末期「白鹿」の辰馬本家から分家した初代辰馬悦蔵によって白鷹の酒造が始められた。
しかし品質にこだわった造りは結果として高価な酒となり、一定の評価はされども普及は進んでいなかったという。
その中で1886(明治19)年、神楽坂の酒問屋・升本総本店の店主、升本喜楽(初代升本喜兵衛)は倉庫の中に埋もれていた白鷹を見出し、高く評価した。
喜楽は関東一手捌元として神楽坂の料亭などへ流通を進め、安定的な顧客を得た白鷹は、1924(大正13)年に伊勢神宮の御料酒として選定されるに至っている。

社殿と神域を守護するのは1810(文化7)年奉納の狛犬。

境内社は一社、宮比神社。下宮比町一番地にあった旗本屋敷の邸内社が1907(明治40)年に遷されたもの。
御祭神は大宮売命(天細女命)。

筑土八幡神社 御朱印。
境内右手の社務所にてお願いできる。