四谷於岩稲荷田宮神社

2016年5月30日


御祭神:豊受比売大神・田宮於岩命
社格:旧無格社
所在地:東京都新宿区左門町17
最寄駅:東京メトロ丸ノ内線 四谷三丁目駅
JR中央線 信濃町駅
URL:—
御由緒:四谷左門町は江戸時代、幕府御先手組の組頭・諏訪左門が組屋敷地としたことから「左門殿町」と呼ばれた。
当地には幕府の御先手組同心・田宮家の武家屋敷があり、当社は田宮家の邸内社として奉斎されていた。
田宮家初代・又左衛門の娘・お岩はこの社を篤く信仰しており、田宮家の養子である夫・伊右衛門とは仲睦まじい夫婦であったという。
また薄給であった夫を支え、商家に奉公に出るなどして家勢を再興したといわれる。
お岩は1636(寛永13)年に逝去したが、近隣の人々は田宮家復興が邸内社の御利益にあるとして「お岩稲荷」と呼び信仰する者が多かった。
評判の高まりを受け、田宮家内でも邸内社の傍らに小祠を造り「お岩稲荷」と名付けて崇敬したという。
また、邸内社であるにも関わらず参詣を望む者が後を絶たず、ついには一般町人にも参拝が許可された。
この頃には「於岩稲荷」「大巌稲荷」「四谷稲荷」「左門町稲荷」など様々な呼称があった。
お岩が没してから約200年後の1825(文政8)年、四世鶴屋南北作の歌舞伎狂言「東海道四谷怪談」が江戸中村座で初上演されると、江戸市中で根強い人気があった当社はさらに多くの参詣者を集めたといわれる。
1870(明治3)年頃「於岩稲荷田宮神社」と改称された後、1879(明治12)年に左門町内の火災により社殿が焼失した。
この時、「東海道四谷怪談」を得意とした初代市川左團次からの「芝居小屋の近くに移転してほしい」という要望もあり、左團次から土地の寄進を受け遷座した。
これが現・中央区新川2-25-13の於岩稲荷田宮神社である。
1931(昭和6)年、四谷左門町の「於岩稲荷田宮神社跡」が東京都史跡に指定されるが、1945(昭和20)年の空襲で建物を焼失する。
戦後、1952(昭和27)年この旧地に当社が再建され現在に至る。


四谷三丁目駅3番出口から外苑東通りを南へ。
3本目の路地を左に曲がり、突き当たりで右を向くと、そこから100m足らずで当社に至る。
向かいには於岩稲荷を名乗る寺院・陽運寺が派手に幟旗を立てている。
当社が明治時代に一度遷座した際、左門町の人々が代わりに祀った小祠があった場所に、戦後建てられた寺。
つまりこの寺にはお岩さんと直接の縁はなく、祀られている「於岩稲荷」も田宮神社の御分霊ではない。
お岩さんのお墓も妙行寺(現・豊島区西巣鴨4-8-28)にあるので菩提寺でもない。
寺の境内にはお岩さんゆかりという井戸があり区文化財と謳われているが、公開されている新宿区の一覧資料には井戸についての記載が見受けられない。
神社が不在の間に、お岩さん人気を狙った僧侶が当地に潜り込み、うまいこと商売を展開した…というが事情のようである。
社地を含め正統な由緒はあくまで田宮神社にあり、現在も田宮家(第11代)当主が宮司を務められている。
なお、四谷怪談のイメージや陽運寺が縁切り縁結びの御利益を謳ったことから、当社を縁切りのパワースポットとして誤解し紹介しているメディアなどもあるが、特にそのようないわれはない。


怪談ですっかり有名になってしまったが、由緒のとおり貞淑な妻だったお岩さん。
境内は怨霊とは無縁の、稲荷らしい引き締まった空気感とあたたかさを併せ持つ。
拝殿前には宮司様手書きの「言葉守」があり、そのときの気分にあった一枚を持ち帰ることができる。


四谷於岩稲荷田宮神社 御朱印。初穂料300円。
「有事人生」とは色々なことが起こるのが人生、との意味。
それにまつわる深い話を、ぜひ宮司様から直接お聴きいただきたい。