隅田稲荷神社


御祭神:宇迦之御魂命
社格:旧村社
所在地:東京都墨田区墨田4-38-13
最寄駅:東武鉄道伊勢崎線(スカイツリーライン) 鐘ヶ淵駅
京成電鉄押上線 八広駅
URL:http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/13_sumida/13020.html
御由緒:初代堀越公方・足利政知が伊豆で病死し、その家臣・江川善左衛門雅門と郎党が天文年間(1532~1555年)に当地に逃れ、京都・伏見稲荷大明神を勧請して氏神として祀り開墾し、南葛飾郡善左衛門村の起源を成した。
※なお、足利政知の没年は1491(延徳3)年であり、堀越公方自体も遅くとも年間1498(明応7)年に滅亡している。
善左衛門が伊豆から当地へ移住する天文年間まで30年あまりの空白があるため、足利政知の臣下という部分については若干の疑義が生じる。
江戸時代、関東総司・妻恋稲荷神社の神官・斎部宿禰守儁が仲介し京都・伏見稲荷大社の神璽を拝領するに至り、氏子等が御田地を奉納し境内を整備したと伝えられる。
この神璽奉斎の旅中(一説には伊勢参宮ともいわれる)、五代目善左衛門は美濃国で山賊に遭遇したが、八人の僧が現れ危機を救ったことから「八僧稲荷」と称された。
慶長年間(1596~1615年)と1830(文政13)年正月に社殿の改築が行われた。
また当社は「万燈神輿」発祥の地とされている。
これは、元冶年間(1864~1865年)、善左衛門の遺徳を讃えた里人が万燈に開拓由来の錦絵を描いて神輿として担いだことに由来する。
1913(大正2)年から工事が開始された荒川放水路開削にともない、1916(大正5)年に旧内務省より換地として得た現在地に遷座した。
万燈神輿は遷座前年の1915(大正4)年以降永らく中止されていたが、1975(昭和50)年60年振りに復活されている。
戦前の社格制度においては当初無格社であったが、1932(昭和7)年12月27日村社に昇格している。
戦中の1943(昭和18)年4月、現社殿に造替された。


鐘ヶ淵駅東口から鐘ヶ渕通り商店街を南に向かい550mほど先、コインパーキング脇を左手に入る。
そこから約100mほど隅田川河畔に向かった住宅街の中に鎮座している。
境内参道途中には立派な獅子山が一対。


手水舎は1864(昭和39)年の建築だが、水盤は幕末の1847(弘化4)年造。

当社には現社号のほか古くから複数の呼称があり「隅田町誌」には「善左衛門稲荷神社」として掲載されている。
同誌には三輪里稻荷神社同様「コンニャク稲荷」として伝承の記述もある。

境内社は社殿向かって左手奥に三社が鎮座している。
最奥には高皇産霊神を祀る皇産霊(スメムスビ神社。
遷座前には神皇産霊神が別に祀られていたようだが、こちらに合祀されたのか。

流造の祠は八幡神社(應神天皇・神功皇后)、春日造の祠は白髭神社(猿田彦大神)。


隅田稲荷神社 御朱印。初穂料300円。
手水舎そばにある社務所にて受けられる。