胡録神社(南千住汐入)
概要
川中島の戦で敗走した後、汐入地区に定住した高田嘉左衛門が、戦国時代の永禄4年に面足尊・惶根尊を奉斎・創建した神社。
嘉永5年に改築造営された本殿が現存する。
御祭神 | 面足尊・惶根尊 |
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社格 | 旧無格社 |
鎮座地 | 東京都荒川区南千住8-5-6 |
最寄駅 | JR常磐線 南千住駅 東京メトロ日比谷線 南千住駅 つくばエクスプレス 南千住駅 京成電鉄本線 京成関屋駅 東武鉄道伊勢崎線 堀切駅・牛田駅 |
URL | http://korokujinja.mikosi.com/ |
御由緒
1561(永禄4)年8月、川中島の戦において上杉家の家臣・高田嘉左衛門は戦に敗れ、十二名の同志とともに関東へ敗走し、当地へたどり着き永住の地と定めた。
その生活の安寧を祈願し、1561(永禄4)年9月19日、面足尊・惶根尊の両神を奉斎したと伝えられる。
古くは第六天と称したが、1869(明治2)年神仏分離令の際、社号を胡録神社と改称した。
由来は、武士が矢を支える武具の「胡録」、また当地汐入で盛んに生産され、人形の上塗り用塗料として重用された胡粉の胡の字と第六天の六に因んだという。
汐入地区は、複雑に入り組んだ路地にひしめき合う様に長屋などが建っていた最後の下町ともいうべき街であったが、昭和の末頃から街全体を対象とした再開発計画が進められ、当社も2003(平成15)年9月19日に旧境内地から前方に遷座した。
本殿については1852(嘉永5)年9月19日に改築造営された。
拝殿・神楽殿は1927(昭和2)年に造営され、本殿とともに戦災にも遭わず現存している。
境内紹介
隅田川が大きく湾曲する半島域の通称汐入地区、千住汐入大橋南詰近くに鎮座する。
少し離れてはいるが南千住駅や京成関屋駅などが徒歩圏内。
南千住駅東口バスターミナルからはコミュニティーバスも出ている。(「東京リバーサイド病院」下車)
遷座からは10年以上経っているが、社地の空気感はまだ新しさが強い。
とはいえ、狛犬や手水舎などは年季が入っており、この神社の歴史を静かに語る。
境内には胡粉を生産するための挽き臼も残されている。
二の鳥居から拝殿へ。
社殿に施された組物や彫刻は見事。
1852(嘉永5)年造の独立した本殿も間近で観ることが可能。
拝殿同様繊細な彫刻に彩られ、神社建築の美しさを現代に残している。
かつてあった町がほぼ更地になるような大規模な再開発の中で、元の社地から遷座したとはいえ、これだけの社地を確保し維持できたのは、やはり氏子の方々の想いあってこそだろう。
本社神輿
大祭時に開帳されていた本社神輿。
境内社
境内社は二社。
猿田彦命を祀る道祖神は元々汐入の村落の出入口に鎮座していたという。
もう一社は刀塚社。
当地を開拓した高田嘉左衛門らが刀と鎧兜を地中深く埋めたと云われる南千住8-1-40付近に祀られていたが、再開発により当社地に遷座してきた。
御朱印
胡録神社の御朱印。
初穂料300円。
拝殿向かって左手にある社務所にて受けられる。
画像ではわかりにくいが、金粉が混ぜられた墨で浄書されている。
以前の御朱印
以前は御神紋が捺されておらず、浄書も普通の墨だった。
限定御朱印
胡録神社の地図
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