牛天神北野神社
御祭神:菅原道真
社格:旧村社
所在地:東京都文京区春日1-5-2
最寄駅:東京メトロ丸ノ内線・南北線 後楽園駅
都営地下鉄三田線・大江戸線 春日駅
JR中央・総武線 飯田橋駅
東京メトロ東西線・有楽町線・南北線 飯田橋駅
都営地下鉄大江戸線 飯田橋駅
URL:http://ushitenjin.jp/
御由緒:創建は1184(元暦元)年とされ、元は金杉天神と号した。
鎌倉幕府成立前の1182(寿永元)年、源頼朝は当地付近の入り江にあった松に船を繋ぎ留め、波風が収まるのを待っていた。
その間、頼朝の夢に牛に乗った菅神(菅原道真)が現われ、頼朝に二つの幸事が起きることと、成就の暁には必ず社を造営して報いるよう告げる。
眠りから覚めた頼朝の傍らには菅神が載っていた牛によく似た形の岩石があり、これを牛石と呼んだ。
同年、頼朝と北条政子の間に嫡男・頼家が誕生、翌1183(寿永2)年には平家方が都落ちし朝廷は頼朝による東国支配権を認めるに至る。
これにより、頼朝は当地に大宰府天満宮の御分霊を勧請・神領等を寄進し、牛石を御神体として当社が創建されたとされる。
元は今より東に社地があったが、寛永年間(1624年~1645年)に水戸藩邸が作られため、現在地に遷されたという。
当時は三千坪あまりの敷地があり、門前町は小石川有数の繁華地であったと伝えられている。
1872(明治5)年、村社に列せられた。
最寄りは後楽園駅。東京ドームや後楽園を左手に見つつ都道434号線を西に進むと「牛天神下交差点」に至る。
飯田橋駅からであれば、警視庁飯田橋庁舎や小石川運動場を右手に見つつ進んで来るとこの交差点に出る。
交差点で北に向かう道に入り最初の信号を左折。(一方通行路なので車は進入不可)
この道の右手に社号標が建ち、奥に石段になっている参道が続く。
境内には、明治時代に当地付近で上流・中級階級の子女を集め和歌や書を教えた私塾「萩の舎」を主宰した歌人・中島歌子の碑なども。
中島歌子には樋口一葉、三宅花圃らが師事したことで知られる。
1809(文化6)年奉納の狛犬は運慶作で水戸光圀により奉納されたという。
両方とも阿像で、向かって右は乳飲み。
拝殿前にはおなじみ撫で牛。
当社の由緒に登場し、現在も拝殿向かって左手にその姿を残す「ねがい石」。
全国の天満宮・天神社・北野神社の撫で牛の元祖ともいわれ、真剣に願掛けしながらねがい石を撫でると願いが叶うとされている。
末社の太田神社・高木神社の合祀殿。太田神社には面白い由緒がある。
創建は定かではないが、かつては黒闇天女(弁財天の姉で貧乏神とされる)を祀っていた。
江戸時代のこと、小石川に住むある旗本が、取り立てて不幸はないものの貧乏に苦しんでいたという。
ある夜、夢の中に貧乏神が現れ「長い間この家にいたが、他所へ遷ることにした。三日の内に赤飯と油揚げを供えて祀れば、礼として福徳を授ける」と告げられ、旗本がその通りにすると、以降万事慶福事が続き豊かになった。
旗本はこの恩に感謝して神像を彫り牛天神に奉納したという。
なお太田神社の現在の御祭神は天鈿女命と猿田彦命、高木神社が宇迦御魂神である。
牛天神北野神社 御朱印。
挟み紙にもひと工夫されている。
末社・太田神社と高木神社の御朱印。
なお、兼務社の小石川諏訪神社・出世稲荷神社の御朱印も拝受可能である。
末社二社・兼務社の御朱印については、宮司様がおられる際にのみ授与される。
各御朱印の初穂料は500円。境内左手の社務所にて。
このほか祭事や各種行事の際に授与される特別御朱印については次ページにて紹介する。
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