神明氷川神社
御祭神:素盞嗚命
相殿神:大日孁命(天照皇大神の別称)・櫛稲田姫命・事代主神・大山祇神
社格:旧村社
所在地:東京都中野区弥生町4-27-30
最寄駅:東京メトロ丸ノ内線 中野富士見町駅
URL:http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/07_nakano/7014.html
御由緒:1469(文明元)年、太田道灌が江戸城鎮護のため武蔵国大宮氷川神社の御分霊を勧請、創建した。
このとき同様に隣村の本郷村にも氷川社が勧請され、俗に二簸川社といわれた。
以来毎年の例祭日には太田家より玉串を奉納されたと伝わる。
江戸時代には旧雑色村(ぞうしきむら)字川島の鎮守社として崇敬された。
「新編武蔵風土記稿」には氷川、神明合社と記されており、社地の北方を流れる神田川の河畔から神明社が遷座・合祀されたという。
この神明社は社地一帯の旧町名である神明町の起源となっており、隣接する小学校名などにその名残を残す。
弘化~嘉永年間(1844~1853年)には旧別当寺の正蔵院住職であった岸祐宜によって社殿の改築整備が行われている。
1874(明治7)年4月、旧社格制度による村社に列した。
1926(大正15)年に権現造り銅板葺き社殿、次いで1931(昭和6)年には神楽殿と社務所が整備されたが、1945(昭和20)年5月25日の米軍空襲により灰燼に帰した。
戦後、直ちに仮社殿を造営し、1958(昭和33)年9月には本殿が竣功し現社殿・神楽殿が整えられた。
方南通りと中野通りが交差する南台交差点の北東側、住宅街に鎮座する。
丸ノ内線富士見町駅からであれば中野通りを南に進んで5~600mといった距離か。
方南通りから社頭のある路地へ向くと、すぐに樹勢良好な鎮守の森が見える。
まっすぐ拝殿へと至る、やや長めの参道。途中にある手水舎はセンサー式だが、脇にポンプもある。
なお、この東面する拝殿から参道方向への延長線上に皇居がある。
参道を抜け拝殿前に至ると神楽殿などもそこにある。
また、社地の脇を通る路地からここに直接至る南側参道があり神明鳥居が一基。
それにしてもよく掃き清められた境内である。迂闊に踏み荒らすわけにはいかない。
しっかり石畳に沿って社殿脇を奥へと移動する。
社殿両脇に一社づつ末社が鎮座する。
向かって左には津島神社。旧御本殿の移設だという。
御祭神は三柱。牛頭天王・宇賀大神・稲荷大神となっている。
向かって右には御嶽神社。ご祭神は櫛眞知大神となっている。
武蔵御嶽神社を勧請しているのだろうか。
境内末社は他に二社、表参道を入った左脇に鎮座している。
三光麟神社は社殿が無く、大小の岩が祀られた磐座の形式。
和合の御神徳があらたかだという。御祭神は三光鱗大神。
三光麟神社の奥に宗像神社・大國魂神社の合祀殿。
落ち葉除けの網がかけられているが、水を湛えた池がある。
やはり弁天様には水辺があったほうがいい。
宗像神社は多岐理姫・多岐津姫・市岐島姫三神、大國魂神社は大國主神が御祭神。
境外末社の藤神稲荷神社が弥生町2-19-4に鎮座している。
創建は不詳だが、旧川島村の鬼門を護る神として古くから祀られているという。
神明氷川神社 御朱印。初穂料300円。境内右手の社務所にて受けられる。
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