中山神社

2014年5月4日

概要

旧称を中氷川神社と称し、簸王子社とも呼ばれた。
大宮氷川神社(男体社)、氷川女體神社(女体社)を直線で結ぶ中間地点に鎮座し、かつて三社で見沼を神池とした広大な神域を持つひとつの神社を構成していたとする説がある。

御祭神 大己貴命・素盞嗚尊・稲田姫命
社格 旧村社
鎮座地 埼玉県さいたま市見沼区中川143番地
最寄駅 JR大宮駅から国際興業バス(大12系統中川循環) 中山神社前停留所
JR北浦和駅から東武バス(岩02系統) 富士見ヶ丘停留所
URL http://www.saitama-jinjacho.or.jp/shrine/8852/

御由緒

創建は紀元前96(崇神天皇2)年と伝えられる。
大宮の氷川神社氷川女體神社を結ぶ直線のほぼ中間地点に位置し、当社は中氷川神社と称された。
この三社は関係性が深いとされ、主祭神はいずれも素盞嗚尊・稲田姫命・大己貴命でありながらも、筆頭の祭神を氷川神社は素盞嗚尊、氷川女體神社が稲田姫命、中山神社は大己貴命をそれぞれ掲げ、男体社・女体社・簸王子社の三社で一つの「氷川神社」であったという考察が存在する。
現在の社号は1907(明治40)年周辺の南中野、新右衛門新田、上山口新田、南中丸の神社を合祀した際、鎮座地である中川の「中」と江戸期の新田開発以来、氏子付き合いを続けていた上山口新田の「山」を合わせ、中氷川神社から改称した。

境内紹介



首都高速埼玉新都心線さいたま見沼出入口近くの県道一号線(第二産業道路)沿いに鎮座する。
大宮駅や大宮氷川神社参道から乗れる国際興業バスであれば、参道のそばで降りられる。
バス停からすぐの横断歩道で西を向くと、50mほど先に両部の一の鳥居が確認できる。
表参道はそこからで、県道で一度分断され、東へと続いている。
東側の参道は樹木が立ち並び、神社らしい静寂な雰囲気だが、住民の生活道路にもなっているようで車の往来もたびたびある。
これをしばらく進むと、やがて神域への入口を象徴する二の鳥居が見えてくる。

さらに境内を奥へ進むと御火塚がある。
御火塚は当社の特殊神事、鎮火祭が行われる場所である。

狛犬は1870(明治3)年の銘が刻まれている。


現社殿の奥に旧社殿が保存されている。
桃山時代の建築と推察され、市内最古という。
簡素な板葺きの「見世棚造」から装飾の施された「流造」に発展する過渡期の貴重な文化財である。
それにしても旧社殿でありながら、未だ神が宿っているように感じるのは気のせいか。

境内社


手水舎の奥に稲荷神社、反対側の参道右手に荒脛神社が鎮座している。
荒脛神社によって、大宮の氷川神社と繋がるという。


八社合祀殿には神明社・飯成社・淡嶋社・疱瘡守護社・磐社・石上社・竈神社・稲田宮主社が祀られている。
稲田宮主社により氷川女體神社と繋がる。
二の鳥居に向かって左手にも稲荷神社がもう一座。
脇の石祠は「成田」と刻まれているので不動尊か。

御神池


社地の後方(東側)100m弱ほどに御神池が残されている。
見沼の名残りといわれ、かつては神事の前に神職が禊ぎを行ったという。

御朱印

中山神社の境内には社務所が無い。
拝殿脇に掲示された社務所への連絡先へ連絡を取る形。
不在の場合もあるようなので、遠方からの参詣であれば事前に確認したほうが良いだろう。
初穂料300円。

限定御朱印

2017(平成29)年10月28日に大宮氷川神社で明治天皇御親祭150年祭が斎行される。
これを奉祝し、旧称である「氷川簸王子神社」を浄書した特別御朱印が期間限定で授与されている。
不在の場合は書き置きが用意されているが、日付は吉日となる。

中山神社の地図