石濱神社(石浜神社)

2014年6月4日

概要

奈良時代・神亀元年の創建で、荒川区内最古の神社とされる。
景勝地に鎮座していたこともあり、江戸時代には伊勢詣での代わりに参拝する人が多く隆盛した。

御祭神 天照大御神・豊受大御神・寿老神
社格 旧郷社
鎮座地 東京都荒川区南千住3-28-58
最寄駅 JR常磐線 南千住駅
東京メトロ日比谷線 南千住駅
つくばエクスプレス 南千住駅
東武鉄道伊勢崎線(スカイツリーライン) 東向島駅
URL http://www.ishihamajinja.jp/

御由緒

724(神亀元)年9月11日、勅願(国家鎮護・皇室繁栄などを目的とした勅命による祈願)によって創建された、荒川区内最古の神社である。
1189(文治5)年、源頼朝が奥州征討に際しての社殿の寄進、1281(弘安4)年の蒙古襲来の折には、鎌倉将軍家お取次による官幣の奉納などを経て、千葉氏、宇都宮氏など関東武将の崇敬も篤く、中世初めには大社として発展する。
社地は東方に隅田川、西方に富士山、北方に筑波山を望む景勝地であり、江戸名所図会などにも紹介された。
「朝日神明宮」とも称され、伊勢に行けない人々が代わりに参詣し、夏越の大祓は江戸随一とされるなど、多くの参詣者を集めたと伝えられる。
1872(明治5)年、郷社に列格し、1926(大正15)年、隣接していた真先稲荷・招来稲荷神社が石浜神社の境内に遷座した。
1988(昭和63)年9月、白鬚西地区市街地再開発事業に伴う護岸工事により、前社地よりやや東の現在地に遷座している。

境内紹介




南千住駅から明治通りに出て東へ。
隅田川に架かる白鬚橋の手前で左折した、東京ガスのガスタンク基地に隣接して鎮座している。



参道の途中には信仰の歴史と由緒を物語る石碑や力石が数多く残されている。
狛犬は1915(大正4)年造と比較的新しいものではあるが、風格を纏いつつ穏やかな表情で境内を鎮護する。

木造神明造の拝殿は1988(昭和63)年の造営。
本殿は橿原神宮や平安神宮、明治神宮など多くの社寺建築を手がけた伊東忠太が設計し、1937(昭和12)年に造営されたもので、現在覆屋で保護されており、直接拝観はできない。

境内社


拝殿右横に境内社の合社殿。
拝殿側より摂社・江戸神社(素戔雄尊)、末社・北野神社(菅原道真)、妙義八幡神社(日本武尊・誉田別命)、寿老神、宝得大黒天、真先稲荷神社(豊受姫神)、と並ぶ。
北野神社は石濱天神と称され、広く知られた天神社のひとつだった。
また、拝殿手前の右側には三つの末社が鎮座している。


向かって左手より真先稲荷の奥宮であった招来(おいで)稲荷神社。
中央は招来稲荷にあった狐穴を祀った白狐祠。
狐穴の前に餌を置き「おいでおいで」と呼び出して、餌を食べれば願いが叶うとされたそうだ。
墨田区向島の三囲神社の狐とともに有名であったという。
その右は1758(宝暦8)年に建立された富士塚。
庚申塔も祀られている。
この他、摂社・麁香(あらか神社が鎮座している。
社殿が江戸時代の造営であるため、保護の観点から公開はされておらず、本殿脇の御垣内に鎮座している。
ただし、事前にお願いすれば参拝させていただけるとのこと。
祭神は手置帆負命・彦狭知命の二柱。
大工・木匠の祖神とされることから、未だ建築に携わる人などが参拝している。

御朱印・御朱印帳

御朱印

石濱神社 御朱印。初穂料300円。
拝殿向かって左手に授与所があるので、そちらでお願いする。
なお、当社は浅草名所七福神の一社であり、寿老神の御朱印も受けられる。

以前の御朱印

以前は「浅草地方橋場町鎮座」の印が添えられていなかった。

御朱印帳

石濱神社の御朱印帳は褐色無地、裏表紙に金の箔押しで社号が記されている。
初穂料1,300円。

石濱神社の地図