巣鴨大鳥神社・子育稲荷神社


御祭神:保食神命・日本武尊命
社格:—
所在地:東京都文京区千石4-25-15
最寄駅:JR山手線 巣鴨駅
都営地下鉄三田線 巣鴨駅・千石駅
URL:http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/03_bunkyo/3024.html
御由緒:1688(貞享5)年、巣鴨村民・所左衛門の勧請により創建された稲荷社である。
のちの1696(元禄9)年、日蓮宗霊感院が別当となり、1755(宝暦5)年には時の鐘と呼ばれる鐘楼が鋳造され、明治初年まで十二辰が報ぜられていた。
一時荒廃した時期もあったようだが、1849(嘉永2)年に霊感院大僧正が「慈悲の手の内」なる文書を誌し、子育稲荷大明神と改称、社殿の再建などを行った。
毎月十三日の縁日には茶番狂言興行があり、御会式での造り菊なども人気を博し、参詣者が増加するようになったといわれる。
社前の通りも賑わいを見せ「いなり横丁」「いなり小路」と呼ばれた。
1864(元治元)年には「酉の市」が立ち、戦争による中断はあったものの現在に続いている。
明治の神仏分離により霊感院と分離、同院は堂宇も破却し廃寺となっている。
第二次大戦末期の空襲で社殿をはじめ一切が灰燼に帰した。
戦後の1949(昭和24)年、豊島区・鬼子母神近くに住む武藤某の夢枕に白髪の老翁が立ち「東方に稲荷大神坐す、住する社なし、汝速やかに建立せよ」と述べた。
武藤某は驚きつつも当地を探し当て、私財を投じ仮社を造営したとされる。
1981(昭和56)年、稲荷神社社殿を新たに造営し、それまで同殿に合祀していた大鳥神社を分祀した。

※注
本記事では便宜上、巣鴨大鳥神社を記事のタイトルにしているが、。


巣鴨駅からは白山通りを400mほど南下、千石駅A4出口からは350mほど北上し巣鴨方向へ。
白山通り西側に「大鳥商店街」と掲げられた街灯がある路地を入り150mほど先に鎮座地がある。
かつて「いなり横丁」「いなり小路」と呼ばれていたのがこの商店街。
由緒のとおり、明治以前は子育稲荷こそが主神であり、大鳥神社は酉の市のことが触れられているのみ。
東京神社庁の紹介ページにも「稲荷神社(巣鴨大鳥神社)」となっているものの、いつの間にか立場が逆転してしまっている。
(※ただし「小石川區史」には「合殿に大鳥大神を祀るので大鳥神社とも言ふ。」と説明されている)
戦後本格的な再建を遂げられていない中、酉の市を起爆剤に本格的再興を願う人々の思惑も働いているのだろう。
近年では酉の市の際、境内と商店街に熊手商はじめ露店が多く立ち並び、当社を中心とした往時の賑わいを取り戻しつつあるようだ。

巣鴨大鳥神社 御朱印。初穂料300円。
境内左手の授与所にて受けられる。御朱印も「大鳥神社」そして酉の市推し。
宮司さんも酉の市について熱く語られていたので、ぜひ11月には参詣を。