五十稲荷神社(栄寿稲荷神社)

2015年2月10日

五十稲荷神社
御祭神:倉稲魂命
社格:—
URL:http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/01_chiyoda/1012.html
所在地:東京都千代田区神田小川町3-9
最寄駅:東京メトロ半蔵門線 神保町駅
東京メトロ丸ノ内線 淡路町駅
東京メトロ千代田線 新御茶ノ水駅
都営地下鉄新宿線 小川町駅・神保町駅
都営地下鉄三田線 神保町駅
JR中央・総武線 御茶ノ水駅
御由緒:正確な創祀の時期は不明だが、京都・伏見稲荷大社を勧請し慶長年間(1596~1615年)には既に鎮座しており、安産守護神として篤く崇敬されていたと伝えられる。
正徳年間(1711~1716年)長門守であった戸田忠時(下野足利藩初代藩主)が当地を拝領し屋敷を構える際、当社の社地がその邸内に含まれた。
戸田家では当地の鎮守として奉祀、足利市雪輪町の旧御陣屋大門に奉斎していた榮富稲荷大明神(陣屋稲荷とも称される)も合祀し、栄寿稲荷大明神として崇敬した。
足利では織物の市が五と十のつく日に開かれる慣わしがあったといい、その繁栄を祈願する為に江戸の戸田邸でも毎月の祭事を五と十のつく日に執り行い、月次の祭日と二月の初午祭には門戸を開放し、町民の参詣を許可していた。
明治維新を迎え、1872(明治5)年には公認の神社として列格した。
廃藩置県制度の施行によって戸田邸敷地は町屋に置き換えられたが、その住人達によって御祭日祀も受け継がれ、
また毎月五と十のつく日には多くの参詣があり、縁日が立ち「五十(ごとう)様の縁日」と呼ばれ賑わうようになった。
当社の正式な社号は「栄寿稲荷神社」であるが、この縁日が由来となり俗称として「五十稲荷」と称された。
現在地の隣地に約200坪の社地を有していたが、1923(大正12)年の関東大震災で全焼する。
震災後、東京市による土地区画整理によって1928(昭和3)年、現在地に遷座の上再建された。
1945(昭和20)年の空襲により再び全焼したが、戦後再建されている。
五十稲荷神社 全景五十稲荷神社 狐像
五十稲荷神社 扁額五十稲荷神社 社殿
靖国通り沿いのとみん神田ビル(都民銀行神田支店などが入居している)脇の路地に入り、最初の十字路で左を向けばもう鳥居が見える。
非常に狭い社地で水盤は使用不能な状態。境内左手に社務所はあるのだが、不在のご様子。
刷った御朱印数枚がケースに用意されており「当分このようなご対応で云々」と申し訳なさそうに書かれている。
いえいえ、ご用意下さっただけでもありがたいことです。お心遣いに感謝致します。
五十稲荷神社 御朱印
五十稲荷神社 御朱印。初穂料は300円を賽銭箱へ納めた。
書置きなので、拝受の日付は自分で書き入れる形式になっている。