亀戸天神社
御祭神:天満大神(菅原道真公)
相 殿:天菩日命(菅家の祖神)
社格:准勅祭社・旧府社
URL:http://kameidotenjin.or.jp/
所在地:東京都江東区亀戸3-6-1
最寄駅:JR総武線 亀戸駅・錦糸町駅
東京メトロ半蔵門線 錦糸町駅
御由緒:1646(正保3)年2月、九州・太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐(菅原道真の末裔)は御神託により、菅公ゆかりの飛梅で天神像を刻み、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち、諸国を巡った。
1661(寛文元)年、信祐は江戸・本所亀戸村を訪れ、当地に鎮座していた天神の小祠に天神像を奉祀した。
これが亀戸天神社の創祀とされる。(※元天神塚の詳細はこちら)
当時、江戸幕府は明暦の大火による被害からの復興を目指し、本所一帯を復興開発事業の地としており、四代将軍徳川家綱はその鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進した。
1662年(寛文2)年には、太宰天満宮に倣い、社殿・楼門・回廊・心字池・太鼓橋などが造営された。
以後、総本社に当たる太宰府天満宮に対する東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」と称されていたが、1872(明治5)年に府社に列格し亀戸神社と改称、さらに1936(昭和11)年、現在の亀戸天神社と改称した。
1945(昭和20)年3月の大空襲により、神庫を除いた一切を焼失。
戦後、前田家江戸屋敷邸内社を譲り受け仮本殿とし、1961(昭和36)年に拝幣殿などを、1979(昭和54)年に本殿を再建した。
錦糸町駅からは錦糸公園の横を通り、太平四丁目交差点を右折して蔵前橋通りを東へ。
錦糸町側からの途中、横十間川(よこじっけんがわ)に架かる天神橋のたもとに社号標がある。
くず餅で有名な船橋屋本店もこのルート上にある。
総武線亀戸駅からは明治通りを北進、亀戸四丁目交差点を左折し蔵前橋通りを西へ。
いずれのルートも少々歩くが、蔵前橋通りを目指せばよいのでわかりやすい順路。
境内は美しい庭園が整備され、この日は快晴とあってか参拝客の他、撮影がご趣味の方が各所に多数。
太鼓橋(女橋)を渡ると左手に菅公像。右手に手水舎。
戦後の再建ではあるが、格式を感じられる社殿。
参拝者が絶えることはなかった。社殿左手に神牛像も。
亀戸天神には御嶽神社・花園社・弁天社・紅梅殿と、4つの境内社が鎮座する。
御嶽神社には菅公の仏教学における師とされる延暦寺第十三代座主・法性坊尊意僧正が祀られている。
亀戸妙義社とも呼ばれ、江戸時代初卯の日参りには大変賑わったという。
花園社は、菅公の正室である宣来子の方(島田宣来子)と14方の子女が祀られている。
女橋近くに鎮座する弁天社は1665(寛文5)年7月に太宰府天満宮心字池畔の志賀社を勧請した社。
元々志賀社は綿津見三神を祀った神社だが、亀戸天神の心字池を上野不忍池に見立て、当社を弁天堂と称するようになった。
社地西側の紅梅殿は太宰府天満宮の御神木「飛梅」の実生を勧請・奉斎している。
神楽殿裏手には塩漬けのおいぬさまが鎮座している。
元は御嶽神社の狛犬だったとみられ、イボ取りの霊験があらたかという。
塩が盛られるようになった理由は不明だが、江東区大島の宝塔寺には同じくイボ取りの霊験があるという塩舐め地蔵がある。
また、天神信仰に関連する神である梅丸大明神は、腫れ物や皮膚病・癌封じに御利益をもらたす。
亀戸天神内に石造物を対象としたイボ取り信仰が存在するのは、このあたりが影響したのかもしれない。
亀戸天神社 御朱印帳。初穂料1,000円。
梅と藤、太鼓橋があしらわれたデザインは控えめだが、藤色の生地は気品のある光沢を放つ。
亀戸天神社 御朱印。初穂料300円。
社殿右手の授与所にていただける。
2016(平成28)年より御鳳輩渡御祭と隔年で神社神輿渡御祭が執行されることとなり、御朱印に神輿の印判が加わった。
1月の初天神、梅まつり、藤まつり、菊まつりの開催時は押印が増える。
おまけ
3月の境内は梅の香りと暖かい日差しに満ちており、亀が甲羅干しをして春の訪れを感じさせていた。
2015年の藤まつりにて。心字池上の藤棚が開花し紫に染まる景色は見事。
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