神道大教院(神道大教本宮)

2014年10月4日

神道大教院
御祭神:天之御中主神
高皇産霊神・神皇産霊神
伊邪那岐神・伊邪那美神
天照大御神
天神八百萬神・地祇八百萬神
社格:—
URL:http://www.shinto-taikyo.org/
所在地:東京都西麻布4-9-2
最寄駅:東京メトロ日比谷線 広尾駅・六本木駅
都営地下鉄大江戸線 六本木駅  
御由緒:1870(明治3)年1月発布の鎮祭ノ詔と大教宣布の詔に拠り、神仏合同布教の宣教機関として設けられた旧大教院を前身とする。
1872(明治5)年4月には尊皇愛国思想教化の為に、中央講学機関として麹町紀尾井町に仮大教院が設けられた。
その後大教院は芝増上寺に移転、旧神祇官の八神殿が下賜され、これを神殿として天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神(造化三神)と天照大御神の四柱を奉斎した。
しかし神仏合同布教は仏教側との対立などにより制度は崩壊し、1875(明治8)年5月に旧大教院は解散、閉鎖された。
これに先立ち1875(明治8)年3月には神道事務局が開設されており、神道側組織としての旧大教院は、独自の宣教機関である「神道大教院」に改められた。
1876(明治9)年、黒住・修成の二講社が独立、神道黒住派、神道修成派と称した。
1881(明治15)年1月、明治政府は神社を一般の宗教形態から遠ざけるべく、神官の教導職兼務を廃止し神官による葬儀や布教関与を禁じた。
これにより神道は国家神道と教派神道に分けられ一般宗教と区別された。
なお同年5月に神道神宮派・同大社派・同扶桑派・同實行派・同大成派・同神習派が、9月には御嶽派が別派特立している。
その間の8月には旧麹町区飯田町に神道事務局の神職養成機関として皇典講究所(國學院大學の母体)が開設され、神道総裁だった有栖川宮幟仁親王が総裁を兼務した。
1885(明治18)年、旧淀藩主で従四位子爵稲葉正邦が初代管長に就任し、翌1886(明治19)年に神道事務局を改組し「神道本局」と改称、教派名を「神道」と称した。
その後1894(明治27)年には禊教会が、また御嶽教からは神理教が独立、1896(明治29)年に旧麻布笄町(こうがいちょう)に神殿と事務所を造営し移転する。
1900(明治33)年には金光教会、1908(明治41)年に天理教会が独立し、教派神道十三派が成立した。
1940(昭和15)年、宗教団体法が施行され、教派名を「神道」から「神道大教」へと改称した。
1945(昭和20)年5月、空襲により境内建造物が全て焼失し、終戦後間もなく仮教務所が設けられた後、1948(昭和23)年10月に再建された。
現建物は1962(昭和37)年に造営された。
神道大教院 鳥居と社号標神道大教院 手水舎
神道大教院 石碑 (2)神道大教院 石碑 (1)
社地は外苑西通りを西に一本入った、緩やかな丘の裾野に広がる住宅街に鎮座する。
神道大教院 拝殿前神道大教院 御霊殿
周囲はマンションや洒落た飲食店、大使館などが並び人や車の往来も結構あるのだが、境内はそのような空気を一切遮断し、落ち着き鎮まっている。
神道大教院 御朱印
神道大教院 御朱印。初穂料300円。参道左手の弥栄殿にてお願いできる。