松が丘北野神社
概要
創建は不詳。片山村の鎮守社。
戦国時代初頭に起きた江古田原合戦の際、太田道灌が戦勝祈願したと伝えられている。
現在は鷺宮八幡神社が兼務している。
御祭神 | 菅原道真公 |
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社格 | 旧無格社 |
鎮座地 | 東京都中野区松が丘2-27-1 |
最寄駅 | 西武鉄道新宿線 新井薬師前駅 |
URL | — |
御由緒
創建年代などは不詳。
1477(文明9)年、当地付近は江古田原合戦の最激戦地となった。
この合戦に臨む際、太田道灌は当社に詣で戦勝祈願したと伝えられる。
また口碑によれば1607(慶長12)年、京都・北野天満宮造営の際、菅公を崇拝していた里人がここに奉祀したともいう。
新編武蔵風土記稿には「天満宮」とあり、片山村の鎮守として記述されている。
幕末まで真言宗豊山派の日照山阿弥陀院東光寺(上高田5-21-5)が別当寺であった。
明治維新後の1872(明治5)年、北野神社と改称した。
1880(明治13)年、片山村は江古田村に編入され、当社は江古田氷川神社付属となる。
降って1933(昭和8)年9月、現社殿が造営された。
境内紹介
新井薬師前駅の北口から、線路伝いに沼袋方向へ300m弱進むと中野通りに出る。
右折して中野通りを北上し、陸橋「片山橋」の下を通過後、80mほど先で左折する。
そのまま道なりに進むと、妙正寺川にいたる少し手前の十字路に境内の入口がある。
社地は丘陵の端部で、北側は江古田公園として整備されており、東側には妙正寺川が流れる。
一の鳥居、水盤、狛犬などは1933(昭和8)年の社殿造営に併せて寄進されたもの。
神楽殿は1983(昭和58)年9月に造営された。
かつてこの神社では「おびしゃ」(御歩射、備射)神事が行われていた。
2月の初午、そして秋の例祭の年2回行われていたが、次第に直会の宴が中心の行事となり、大正時代には「強飯式」に似た行事に変化していたという。
都内で現在でも御歩射神事が行われている神社は、哲学堂公園を挟んだ東側に鎮座する葛谷御霊神社や中井御霊神社、北区志茂の熊野神社など数えるほどとなっている。
境内社
境内社は二社。
社殿向かって左手奥に稲荷神社(宇迦之御魂神)。
稲荷神社の鳥居近くには1960(昭和35)年に月三惣元講・江古田講社によって築造された小さな富士塚もある。
一方、境内東側には市杵島神社(市杵島姫命)が鎮座する。
古くは辨財天祠だった模様。
妙正寺川に対する水神信仰か。
御朱印
松が丘北野神社には神職が常駐していない。
御朱印は本務社の鷺宮八幡神社にて受けられる。
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