貴菅神社(貴舩神社)
御祭神:高靇神・菅原道真朝臣
社格:旧無格社
所在地:大田区大森西5-27-7
最寄駅:京浜急行電鉄本線 大森町駅・梅屋敷駅
URL:—
御由緒:創建の年代は不詳。
江戸時代、大森村のうち本宿の鎮守であった。
1909(明治42)年7月、東海道をはさんで当社の真向かいに祀られていた菅原神社を合祀している。
大正時代、1號國道(現・国道15号、第一京浜)の交通量増大に伴う改修が行われた影響で、東海道沿いから遷座した。
当社の正式な社号は「貴舩神社」だが、昭和に入り「貴菅神社」「貴菅さん」と俗称されるようになったという。
1945(昭和20)年4月の空襲により社殿・末社・社務所などが灰燼に帰してしまう。
終戦後、1952(昭和27)年に社殿が再建、1965(昭和40)年には末社も復興を果たした。
第一京浜の拡幅予定に伴い、2014(平成25)年に社地が西側の京急線寄りに遷され、社殿も修築されている。
大森町駅からは350m、梅屋敷駅から400mほどと両駅のほぼ中間点に位置する。
第一京浜に面しており、道路拡幅用地の奥に玉垣で囲われた境内がある。
鳥居には1925(大正14)年3月の刻銘があり、扁額には「貴舩神社」の社号が掲げられている。
狛犬は1915(大正4)年の奉納。
黒変し多少の劣化もみられるが、まだまだ現役。
当社の本務社はここから東方に鎮座している大森貴舩神社。
そちらにある神橋の地下には暗渠化された水路が走っており、当社とつながっているという説がある。
真偽のほどは定かではないが、興味深い話ではある。
ただし「新編武蔵風土記稿」の大森村の項にはもう一社、貴船社の存在が記されている。
これを踏まえると、水路の存在が本当だとしても意図的に繋げられていた訳ではないように思える。
当地に根強い貴船信仰があって、結果川辺の各所に貴船社が祀られた…と推測するのは夢がなさ過ぎか。
境内末社は一社、
また末社ではないが、当社の南側隣地に谷戸の閻魔大王・延命地蔵尊堂が祀られている。
江戸時代の1665(寛文5)年には祀られていたようだが、貴菅神社同様に国道拡幅のため現在地に遷された旨の説明書きがある。
当社は通常無人。御朱印については授与対応されていない。
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