嶺白山神社
概要
創建時期は不詳だが、江戸時代の前半、寛文年間(1661~1672年)と伝えられる。
古くは女体権現社と称され、明治に入り白山神社と改称した。
御祭神 | 伊弉冉命・八衢彦命・八衢命 |
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社格 | 旧無格社 |
鎮座地 | 東京都大田区東嶺町31-17 |
最寄駅 | 東急電鉄池上線 久が原駅 東急電鉄多摩川線 鵜の木駅 |
URL | — |
御由緒
創建時期は不詳だが、1665(寛文5)年頃といわれている。
古は女体権現社と称した。
新編武蔵風土記稿には荏原郡嶺村の項に「女體権現社 見捨地七畝社二間四方前ニ石階七級アリ 下ニ鳥居ヲ建ツ 柱間九尺祭禮九月四日」と記されている。
1868(明治元)年に白山神社と改称し、1882(明治15)年道祖神社を合祀している。
境内紹介
久が原駅を出て左へ約200m、環八との交差点の角地が鎮座地。
信号機に掲げられた交差点の名称も「白山神社前」となっている。
御神木は推定樹齢600年という
区内最大の樹木で保存樹木の指定を受けている。
1896(明治29)年5月奉納の銘がある狛犬は、両方とも阿形の子抱き。
この神社にはメジャーバンド「SEKAI NO OWARI(セカイノオワリ)」の結成にまつわるエピソードがある。
東調布第三小学校、大森第七中学校で同級生だったFukaseとNakajinが、それぞれ別の高校へ進学後、ある大晦日に偶然再会したのがここだという。
この後、二人でオリジナル楽曲を制作し始め、同じく当地出身のSaoriらとバンドを結成するにいたった。
境内社
環八側入り口付近に庚申塔が一基祀られている。
その後方で「交通安全無事かえる」像が環八の往来を見守る。
庚申塔の隣には幼子を抱いた母の姿を思わせる岩が、子守神として祀られている。
かつてこの社は女体権現を祀っていたわけで、その信仰との関係性も考えられる。
御神木の根元の洞は、おそらく御神木そのものを祀った小祠となっている。
御朱印
境内には町会会館や社務所があるが、こちらでの御朱印の授与対応はない。
本務社である北嶺町の御嶽神社社務所にて受けられる。
初穂料300円。
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