野毛六所神社


御祭神:伊弉諾命・伊弉冉命・天照皇大神・譽田和気命・大山都見命・菅原道真命
社格:旧村社
所在地:東京都世田谷区野毛2-14-2
最寄駅:東急電鉄大井町線 等々力駅
URL:—
御由緒:元和年間(1615~1624年)に多摩川が氾濫した際、多摩郡府中の方から漂着した小さな祠が榎の枝に掛かった。
これを土地の人々が府中六所明神(大國魂神社)と崇め、ここに社を草創して上下野毛両部落の鎮守とした。
当初の鎮座地は現在の上野毛2-19と野毛3-10付近であったといい、その境界には明神坂という坂が通り、坂下に流れる丸子川に架けられた橋や玉堤通り沿いのバス停にも明神の名が残る。
明治の神仏分離まで現在も隣接する真言宗智山派の寺院、影光山仏性院善養密寺が別当を務めた。
1890(明治23)年、村内に鎮座していた山際神社・日枝神社・八幡神社・北野神社が天祖神社に合祀される。
さらに1898(明治31)年に天祖神社が当社へ合祀され、この時現在地に遷座した。
1941(昭和16)年、東玉川神社の創建に伴い、合祀されていた日枝神社を遷す形を取ったため、大山咋命が祭神から外れている。
旧社殿が老朽化したため、1969(昭和44)年11月に鉄筋コンクリート造の現社殿に造替された。

最寄の等々力駅から南に向かい、成城石井の脇から等々力渓谷に架かる橋を渡る。
ここから三本目の路地を左折し約200m進み、環八通りを横断した先の玉川野毛町公園には東京都指定史跡の野毛大塚古墳がある。
帆立貝式古墳としては日本国内でも有数の規模を誇り、多摩川下流左岸に広がる荏原台古墳群の代表的な古墳のひとつだ。

公園の東側を通り過ぎた先の突き当たりで右折し、100mほどで参道の入り口にいたる。
野毛は国分寺崖線上に位置しており、その地名も崖地を意味する単語が由来で、坂の多い地形だ。
参道は多摩川河畔側から石段を上って境内にいたる造りになっている。


狛犬は拝殿前に一対、1937(昭和12)年7月の奉納。
招魂社系に近い形状ながら、尾は立っておらず阿形は舌を出しているなど独特の特徴を持つ。

野毛地区では古墳だけでなく、貝塚や竪穴式住居跡なども数多く発見されている。
現社殿の造営時も、境内から多くの縄文土器片が出土したという。

境内社は二社。
北野神社と、次に紹介する水神社が鎮座している。

多摩川水神社


野毛二丁目の多摩川河畔に水神鼻と呼ばれた土地があり、その土手に古くから祀られていたという。
しかし1910(明治43)年の大洪水で御神体が川中に没し、行方がわからなくなっていた。
1921(大正10)年の夏、砂利掘り作業中の人夫によって水神鼻付近に水没していた御神体が発見され、六所神社の境内に奉斎された。
7月の例祭では戦前まで三基の神輿が多摩川で水中渡御を行っていたが、現在は祭礼のみとなっている。



多摩川の砂利は江戸時代から利用されていたが、特に明治中期頃からは建築需要が高まり採掘が盛んになった。
等々力や野毛には採掘人夫が密集定住していたことから、荒々しい気風がある反面、素朴で信仰心が篤かったという。
水神が祀られた一角には、篤い信仰を示す奉納物が多数存在する。

社殿再建や神輿奉納を祈念した碑には、水天の梵字と真言「おん ばろだや そわか」が刻まれている。
水天は仏教における天部のうち、十二天の一尊。
古代インドの重要神ヴァルナが取り入れられたもので、水を司り龍を従える神とされる。
この神を祀った代表的な神社が水天宮で、安徳天皇と同一視されたほか天之水分神・国之水分神とも習合している。
神仏分離では天御中主神に置き換えられた。
現在の多摩川水神社は多摩川水神が祭神となっているが、もとは水天を信仰の対象としていたのであろう。


野毛六所神社 御朱印。初穂料300円。
社殿向かって右手の社務所にて受けられる。