猿楽神社
概要
代官山エリア・ヒルサイドテラス内の一角に鎮座している。
大正時代、付近一帯の地主である朝倉家によって、当地の地名の由来にもなっている古墳・猿楽塚(渋谷区指定文化財)上に創建された。
御祭神 | 天照皇大神・素戔嗚尊・猿楽大明神・水神・笠森稲荷 |
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社格 | 単立神社 |
鎮座地 | 東京都渋谷区猿楽町29-9 |
最寄駅 | 東急電鉄東横線 代官山駅 |
URL | — |
御由緒
古来、当地には南北に2基の古墳があり、北側に位置する大型墳は「猿楽塚」と称されていた。
付近一帯の地名「猿楽町」は、この古墳に由来する。
参考:https://www.city.shibuya.tokyo.jp/shibuya/town/kubunka.html#sarugakuzuka
6~7世紀の古墳時代末期の築造と推定されており、「猿楽塚」は直径約20m、高さ約5mの円墳である。
「江戸砂子」「江戸名所図会」等にも記載があり、我苦を去るという意味から、去我苦塚とも称された。
また、塚の上から遠方の山々を望むことができたため、斥候(ものみ)塚とも呼ばれた。
都市化が急速に進んだ渋谷区内では、現存すること自体が大変貴重な遺跡であり、1976(昭和51)年3月16日に渋谷区指定文化財第5号に指定されている。
当地の所有者である朝倉家は、遠祖は甲州・武田家に臣属した戦国時代からの旧家である。
武蔵国に転じた後、渋谷に定住し、金王八幡宮と渋谷氷川神社の両鎮守への参拝を常とし、氷川神社改築にも尽力したという。
大正時代、朝倉家が古墳の1つを打ち壊したところ多数の武具が出土し、同家当主と作業をした親方が病に伏してしまったという。
そこで、武具を埋め戻したところ間もなく回復したことから、猿楽塚上に当社を創建した。
以来、2月18日・11月18日の両日を祭礼日と定め、同家はじめ近隣在郷の崇敬を集めている。
御朱印対応はされていないが、御札・お守り・絵馬については、ヒルサイドテラスE棟管理室で授与されている。
境内紹介
代官山駅正面口から旧山手通りに向かい、代官山交番前の歩道橋を渡った後に北(新宿方向)へ向かう。
旧山手通りに面したヒルサイドテラス内D棟脇が鎮座地だ。
C棟とD棟の間を少し入ると、右手に木々の生い茂った小さな墳丘と鳥居が見える。
代官山の雰囲気からは全くの異空間ながらポツポツと参拝者が訪れるのは、古墳に眠る人物の招きだろうか。
塚の頂上には、猿楽神社のほか馬頭観世音菩薩の碑と小石祠も。
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