井草八幡宮

2014年9月17日


御祭神:八幡大神(やはたのおおかみ・応神天皇)
社格:旧郷社・別表神社
URL:http://igusahachimangu.jp/
所在地:東京都杉並区善福寺1-33
最寄駅:西武新宿線 上石神井駅
JR中央線 西荻窪駅
御由緒:創建時期は不詳。
当初は春日神を奉斎していたが、1189(文治5)年、奥州藤原氏征伐の折、源頼朝が立ち寄り戦勝祈願をし、それ以来八幡大神を奉斎するようになったと伝わる。
この時手植寄進したという雌雄一対の松が社前にあったが、雌株は1868(明治元)年、雄株は1973(昭和48)年にそれぞれ枯死してしまったため、現在は二代目が植えられている。
また、この祈願のため当地に宿営し、将兵の飲用水を求め頼朝自らも弓筈で各所を七回も掘ったが、干ばつの折水の出が遅く、ようやく水を得たという逸話から当地は「遅野井」と名付けられ、当社も明治時代まで遅野井八幡宮との別称があった。
室町時代の1477(文明9)年には、扇ケ谷上杉家家宰であった太田道灌が石神井城の豊島泰経征伐のため戦勝祈願をしたとも伝わる。
旧上井草村・旧下井草村は1645(正保2)年以降、奥高家である今川氏の領地となり、当宮は両村の鎮守であった。
1649(慶安2)年、江戸幕府三代将軍・徳川家光は寺社奉行井上正利に命じ、社殿を造営させ朱印領六石を寄進された後、領主・今川氏堯によって1664(寛文4)年には本殿の改築、寄進も行われ、この時の本殿が現在も覆殿内に納められており、これは杉並区内最古の木造建築物である。
明治維新後は1873(明治6)年に村社に、1928(昭和3)年郷社に列格しており、1966(昭和41)年には神社本庁より別表神社に指定された。

早稲田通りと青梅街道が交差する付近に鎮座する。
1km圏内にJR中央線と西武新宿線が通っているが、最寄りとしては西武新宿線上石神井駅が他の駅よりも若干近いかというところ。
早稲田通り・青梅街道の交差点付近には大灯籠がある北側参道、青梅街道沿いに大鳥居や流鏑馬神事の馬場となる東参道の入口がある。


両参道、どちらから入っても合流し楼門の前に出る。鉄筋コンクリート造りの楼門は1971(昭和46)年造。
門をくぐると右手に手水舎、その奥に末社の祓戸神社(祓戸大神・須佐之男命)と三宮神社(天照大御神・春日大神・天満天神)が鎮座する。


神門前、そして門をくぐった先、四方を回廊で仕切られた拝殿前の聖域、この静寂で落ち着いた空気感は本当に趣がある。


神門の左手に社務所があり、その脇に三社の境内社が鎮座している。
向かって左手は三谷稲荷神社(宇迦之御霊神)。右手に新町稲荷神社(宇迦之御霊神)。
中央が三峯神社(伊邪那岐命・伊邪那美命)。相殿に新町御嶽神社と三谷御嶽神社(共に御祭神は櫛真智命)を祀る。
三社の向かい側にそびえる木の袂には小さな庚申像、小御岳石尊大権現像などが置かれている。
ここには元々富士塚があったとのことで、その名残である。

北参道側の駐車場奥に浅間神社(木之花開耶姫命)も鎮座する。
社殿の背後には、1975(昭和50)年に境内から移築された富士塚があるが、四方を柵に囲われており登拝はできない。
比較的新しく整備された境内社ではあるが、奥宮のような気を放っている。

井草八幡宮 御朱印。初穂料は御朱印分込みで1,200円。
遅野井伝説図から源頼朝が湧水を掘る姿が意匠に採用されている。

井草八幡宮 御朱印。初穂料300円。
神門左手の授与所にて拝受できる。
豊かな社叢に包まれた静けさに身を置いた感覚は、何度味わっても都度充ち足りた気分になる。

おまけ:善福寺池の市杵嶋神社


当社の西側に善福寺公園があるが、前述の源頼朝が堀った遅野井には後に江ノ島弁財天が勧請され、祀られている。
湧水は現在は汲み上げて善福寺池に注がれている。