於岩稲荷田宮神社(越前堀)


御祭神:豊受比売大神・田宮於岩命
社格:旧無格社
所在地:東京都中央区新川2-25-11
最寄駅:東京メトロ日比谷線 八丁堀駅
JR京葉線 八丁堀駅
東京メトロ有楽町線 新富町駅
URL:http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/02_chuou/2012.html
御由緒:「東海道四谷怪談」の主人公として有名な人物・お岩は、四谷左門町にあった江戸幕府の御先手組同心・田宮家初代又左衛門の娘がそのモデルである。
だが実際のお岩は田宮家の養子である夫・伊右衛門と仲睦まじい夫婦であったという。
また、薄給であった夫を支え、商家に奉公に出るなどして家勢を再興したといわれる。
田宮家の武家屋敷内には邸内社が祀られていたが、1636(寛永13)年に逝去したお岩はこの社を篤く信仰していた。
近隣の人々は田宮家復興が邸内社の御神徳によるものとし信仰する者が多く、田宮家内でも邸内社の傍らに小祠を造り「お岩稲荷」と名付けて崇敬したという。
邸内社である「お岩稲荷」に参詣を望む者は後を絶たず、ついには一般町人にも参拝が許可され、「於岩稲荷」「大巌稲荷」「四谷稲荷」「左門町稲荷」などと呼称された。
1825(文政8)年、四世鶴屋南北は、このお岩さん人気と当時江戸市中で起きた複数の事件を元に歌舞伎狂言「東海道四谷怪談」を創作する。
これが江戸中村座で初上演されると、江戸市中で根強い人気があった当社はさらに多くの参詣者を集めたといわれる。
1870(明治3)年頃「於岩稲荷田宮神社」と改称された後、1879(明治12)年に左門町内の火災により社殿が焼失した。
この時「東海道四谷怪談」を得意とした初代市川左團次からの「芝居小屋の近くに移転してほしい」という要望もあり、市川左團次が越前堀に所有していた土地の寄進を受け遷座されたのが当社である。
四谷の旧地については飛地境内社とされ、1931(昭和6)年に東京都史跡の指定を受けている。
1923(大正12)年の関東大震災、1945(昭和20)年3月の戦災で社殿を焼失したが、翌1946(昭和21)年には仮殿にて復興、1952(昭和27)年に社殿が再建された。


八丁堀駅B4出口を出て、目の前の信号を横断したのち亀島川に架かる高橋を渡る。
その先、新川二丁目交差点を過ぎた次の路地で右折、ビル街を100mほど進んだ左手に鎮座している。
鳥居や玉垣がなく、外観は古い住宅の庭先のように見えるが、参道入口のブロック塀に細い社号標が埋め込まれている。
参道へ進むと左手に風情のある手水、小さめの石狐が一対、当社造営の際に地業を行った江戸鳶・町火消第一區十番組々頭・村田竹次郎氏の顕彰碑が立ち並ぶ。


四谷からの遷座後も花柳界や歌舞伎関係者などの参詣が多く、門前には茶屋が開かれていたという。
当社が本社で四谷は飛地境内社の位置づけとなっているが、現在当社には神職は常駐していない。
四谷の門前で陽雲寺が勝手に於岩稲荷を名乗りだした状況を放置するわけには行かなかった、ということらしい。


社殿右側には境内社の狐塚(白狐社)が鎮座している。
花崗岩製の鳥居は1897(明治30)年1月の造立で、中央区に現存する中では二番目に古い。
鳥居の奥にある百度石は、大正3年(1914)8月大阪浪花座で、大阪浪花座でお岩を演じた四代目市川右団次が興行を記念して奉納したもの。
中央区内に現存する最古の百度石で、鳥居・百度石とも中央区有形民俗文化財に登録されている。
複数の資料に豊元社という境内社の存在が記されているが、現状では祠などは確認できないので、こちらに合祀されているのか。


於岩稲荷田宮神社 御朱印。
中央区神社めぐり御朱印帳に拝受したため、初穂料は200円。
当社の御朱印は鉄砲洲稲荷神社で授与されている。